エネルギー政策がそれぞれの国の実情を反映している以上、その実情に寄り添った形でエネルギー転換を促さない限り、各国の反発を生むだけだ。EUを中心とする先進国が勝手に引いた線路の上を通るように言われたところで、途上国や資源国がそれに従う義務はない。さらにその速度にまで口を出されても、聞く耳など持たれるわけがない。

そうした意味で、過激な環境活動家や環境団体が成功と評価するCOPなど、まず成立し得ない。妥協をもって良しとされる外交交渉の場で、アクセルを踏みきったような主張など受け入れられるわけがないからである。仮に受け入れられるものだと彼らが考えているならば、それこそがまさに暴力だと言われても仕方がないだろう。

世界の分断を招いているのは誰か

環境NGOらのネットワーク「CANインターナショナル」は、気候変動対策に消極的な国であるとして日本を「化石賞」に選んだ。石炭火力発電を今後も維持する方針を表明したことがその理由だが、これも冷静さを欠いた情緒的な評価に他ならない。これを理由に日本の気候変動対策が内外で支持を得ていないとする論評も公平さを欠く。

環境活動家やNGOらは日本の現実的なアプローチを手緩いと批判するが、情緒的なアピールだけでは国の姿勢は変わらないし、グローバルなルール作りなど進みようがない。またそうしたゲームのルールを自らに有利な方向に誘導しようとする姿勢がEUなどから透けて見える以上、途上国や資源国がそれについていくわけもない。

気候変動対策が世界的な課題であるのは確かだ。しかしながら、その温度差を生み出しているのは、日本や途上国、資源国の取り組みを手緩いと批判する急進的な立場の方ではないか。万事に共通しているが、性急な変化を求める声には必ずと言っていいほど強い反発が生まれる。物事を進めるためには、反対に回る立場への配慮が欠かせない。

気候変動対策を巡って世界が分断しているとして、その分断を作り上げているのは新興国や資源国ではないし、まして現実的な立場にある日本ではない。欧米諸国は国際協調をうたいながらも、途上国や資源国に対する配慮を軽視していたと言わざるを得ない。むしろ欧米は、もともとそうした配慮を放棄していたのではないだろうか。

言い換えれば、気候変動対策の推進を自称する欧米、特にEUや英国は、本当にその気を持っているのであろうか。結局のところ、彼らを中心に環境活動家を含めた政治ショーが展開されただけだったのではなかったのだろうか。今回の成果である「グラスゴー気候協定」がCOPの有名無実化の象徴とならないことを切に祈りたい。

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