事件の詳細な手口を報道するのは弊害が大きい

この事件については、模倣犯も問題となっている。

たとえば、11月8日には九州新幹線の車内で、69歳の男が座席を燃やすという事件が起きた。容疑者は、「京王線の事件をまねた」と供述している。

京王線事件の容疑者自身も、今年8月6日に起きた小田急線車内での刺傷事件を模倣したと述べている。

ほかにも、模倣犯かどうかはわからないが、東京の地下鉄東西線や埼玉県の京浜東北線でも刃物を持った男が逮捕されている。

上で述べたように、容疑者の供述をそのまま信じることは控えるべきであるが、少なくとも京王線事件の容疑者は、犯行の手口に関して、小田急線の事件に絡めたことを具体的に述べている。死刑願望のような内面のことではなく、具体的な行動でその事実が裏付けられるため、この供述はある程度は信用してもよいといえる。

だとすると、ここで強調しなければならないことは、重大事件が起きたときに、その手口を詳細に報道することはやめるべきだという点である。

著名人などが自殺した際に、後追い自殺や模倣自殺を防ぐために、自殺の方法を詳細に報道することは控えるべきだという世界保健機関(WHO)の「自殺報道ガイドライン」がある。

これと同じで、やはり社会の耳目を集めるような犯罪が起きると模倣犯が出る。

事件自体を報じることには社会的意義があるだろうが、その際に詳細な手口を報じることは控えるべきである。それは、犯罪予備軍に犯罪の教唆をしているようなものであり、非常に弊害が大きい。

模倣犯が出現してしまう理由

模倣犯が出る理由として考えられることは、やはり多かれ少なかれ重大事件の容疑者と同じような状況に置かれた人や、その容疑者の心情に共感したりする人がいるからである。もちろん、そのような人はごまんといる。彼らが皆、同じように犯罪に至るわけではない。

犯罪というものは、本人の置かれた環境と本人側の個人的な資質の掛け算であるので、反社会的なパーソナリティ、反社会的な価値観などがあるかどうかを慎重に検討する必要がある。

したがって、これらが重なって実際に模倣犯となる人はきわめて限られてくる。とはいえ、少数とはいっても、そのような人が現れることもまた事実である。さらに、事件が大きく報じられることで、容疑者にスポットライトが当てられると、歪んだ承認欲求を満たしたい人々は、同じような行動に出ようとする。