パナソニック社長 大坪文雄(おおつぼ・ふみお)
1945年、大阪府生まれ。71年、関西大学大学院工学研究科修了、松下電器産業(現パナソニック)に入社。生産部門を歩み、98年取締役に就任。常務取締役、専務取締役などを経て、2006年より現職。
グローバル社員38万人のリーダー役を受け継いで6年目、グループ再編と新成長戦略に邁進してきたパナソニックの大坪文雄社長が再び大きな試練に直面している。2012年3月期の連結決算で最終損益が当初の黒字予想から一転、4200億円の大赤字に転落する見通しだ。その赤字額は、「破壊と創造」でITバブル後の危機を乗り切った中村邦夫前社長(現会長)が02年3月期に計上した規模に迫る。長年パナソニックの屋台骨を支えてきたテレビ事業の不振が大きな要因だ。「(韓国・台湾など)世界中のメーカーが参入し、一気に汎用品化が進んでブランド力を発揮できなかった」と大坪社長は嘆く。
急激な為替変動も大誤算だった。ライバルがパネル部品などを外部調達する中、自前での「一貫生産」にこだわり、国内に最新鋭の大規模工場を矢継ぎ早に建設。量産効果を狙って海外輸出を目論んだが、歴史的な超円高と価格破壊のダブルパンチをまともに受けて、体質強化のための「攻め」の投資が裏目に出た。テレビ事業の縮小を含めた構造改革費用は5000億円以上に膨らみ、今年2度目、1万人規模の大リストラも待ったなしだ。
大坪社長は就任早々、社名変更とブランド統一の大仕事を成し遂げ、パナソニック電工、三洋電機との経営統合にも踏み切った。技術屋らしい謹厳実直な性格は中村会長の敷いたレールから大きく逸脱することなく走り抜けてきたが、大坪社長にとって3度目の赤字転落が改革の足を引っ張る。創業100周年に向けてリチウムイオン電池・ソーラー事業などに軸足を置いた最強の「環境革新企業」に大変身するのが課せられた使命だが、進退が問われる中でどのように独自色を出していくのか。会長との“二人三脚”経営の正念場である。