「訴えはったらよろしがな。受けて立ちまっせ」

「こんな詭弁は許せない。正しいことを主張するためなら、最後の切り札として残しておいた蓄えを使ったって惜しくないわ」という家内の言葉が私の背中を押した。後ろ盾たる彼女がそう言ってくれるなら、鬼に金棒。

じつは私には、それくらいの覚悟で言い出せば、会社もこちらの言い分の半分くらいは呑んでくれるかもしれない、との打算があった。いかつい顔をした富田も、初対面のときには「困ったことがあったら、なんでも相談するように」と言ってくれていたので、彼にも“男の身上”みたいなものがあるのではないかと期待したのである。

「もしこのような状態がこのまま続くようなら、裁判に訴えさせてもらいます」

怒り
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富田は私たちの覚悟を知ると折れるどころか、想像を超えることを言い放った。

「裁判に訴えるいうんですかいな。上等ですやん。訴えはったらよろしがな。受けて立ちまっせ」

私の必死の訴えを聞いた開口一番が、そのひと言であった。本性を現したのか、口調も一変していた。

「マスコミが騒いだところで、人の噂も七十五日。世間はすぐに忘れてしまいますわ。会社にしたところで、カエルの面にションベン引っ掛けてるようなもんで。そんな話、あっちゃこっちゃにあって、だーれも気にしまへんて。

何千万持ってはるのか知らんけど、所詮は素人のゼニや。そんなもん、すぐ底つく。かわいそうやけど、会社のほうはそんなことありまへん。そんなときのゼニはしっかり使わしてもらいまっせ。うちにはこんなときのために、大物弁護士の××はんがバックについてくれたはりまんにゃ」

表情を変貌させて、まるで『ミナミの帝王』に出てくる萬田銀次郎ばりの台詞まわしで一気にまくし立てる。こんな世界が現実にあるとは信じられない気持ちだった。

半年足らずで管理会社を退社することに

「貧乏人がなんぼ調子こいたかて、金持ちと地アタマのええ奴には勝てまへん。あの××はん相手に戦うんでっせ、南野さん。悪いこと言いまへん。ムダなことはやめときなはれ」

いったん開き直れば、ここまで変われる浪速おとこに脱帽せざるをえない。さしもの私も、自分がいかに無意味なことをしているかに気がついた。こんな感覚の持ち主を平気で雇っている会社もしくは上司相手に直球勝負を挑んだところで、なんになるだろう。

意地を張って裁判所通いをしたところで、このさき何年もかかる。そんな消耗戦にかろうじて残る体力やなけなしの蓄えを費やすより、新しい仕事探しに精を出すほうがよっぽど意義がある。私たちはその管理会社を退社することを決意した。結局、「グラン・サルーン江坂」での勤務は半年足らずのものとなった。