<strong>出光興産会長 天坊昭彦</strong>●1939年、東京都生まれ。64年、東大経済学部卒。91年、取締役、98年、常務取締役に就任。経理・海外・需給を担当。2000年、専務取締役。02年、創業家以外から25年ぶりに社長に就任。06年、東証1部上場。08年5月から石油連盟会長を務める。
出光興産会長 天坊昭彦●1939年、東京都生まれ。64年、東大経済学部卒。91年、取締役、98年、常務取締役に就任。経理・海外・需給を担当。2000年、専務取締役。02年、創業家以外から25年ぶりに社長に就任。06年、東証1部上場。08年5月から石油連盟会長を務める。

しかし社内の反応は、「何を馬鹿なことを言ってるんだ。出光は前に攻めていく会社だ。経理の仕事は、事業に必要な金を借りてくることだろう」といったものが大半だったのである。

まずは金融機関に私募債を引き受けてもらい、2006年、出光は上場を果たしたわけだが、メディアはオーナー(出光昭介会長・当時)に上場を承諾させた立役者として、私のことを「大胆だ」「度胸がある」と形容した。しかし、私は決して度胸があったわけではないし、上場は私一人の力で実現したわけでもない。

立場上オーナーと一対一で話をする場面もあったが、私は極力会議の場で上場の必要性を説くようにした。こういう問題は、陰でコソコソ動くのが一番危険だからだ。そのうち土地の値段が下がりはじめ、内部統制の強化が叫ばれるなど、私が予見していた問題が次々と現実のものになっていった。私はこうした機会をとらえては上場の必要性を力説し、徐々に周囲を巻き込んでいった。時の流れを味方につけたのである。

オーナーに伝えたのは、出光の事業規模に伴う社会的な責任の重さを考えると、もはやプライベートカンパニーではやっていけないこと、創業者の理念(人間尊重)は、たとえ上場会社になっても実践できるという2点のみであった。

私は経理部門の長として、やるべきことをやるべきときにやったまでだ。オーナーが理解してくれなければ、私のクビを切ればいい。そう思っていた。仕事とは、そういうものではなかろうか。

社長に就任して間もない03年には兵庫と沖縄、2カ所の製油所を閉鎖した。2度のオイルショックを受けて、石油依存率を下げるために省エネ法、代エネ法ができたのは30年も前のことだが、石油は使い勝手がよく値段も安いため、日本の石油需要はバブル崩壊後も99年まで伸びていた。いずれ需要が減ることはみんな頭では理解していたが、戦後一貫して右肩上がりできた石油業界は、染みついた行動パターンからなかなか抜け出せない。頭のどこかで、「またいい時代がくるさ」と考えている人が多かった。

しかし、いまや脱化石燃料、CO2削減の時代である。いま製油所を止めなかったら、止める時はない。製油所の地元にはたくさんのステークホルダーがおられるから、止めれば多大なご迷惑をおかけすることになる。製油所を止めるには大変なパワーが必要だ。しかし、やりたくないことを先送りすると、余計やりにくい状態を招いてしまうことになる。

人間、何か新しいものをつくろう、新しい事業をやろうというときは即断即決できるものだ。しかし、マイナスの負荷をかけないとできないことには、どうしても腰が引けてしまう。私はそんなとき、後からくる人たちが嫌な思いをしなくて済むなら、私がそれをやろうと考える。どうせ誰かがやらなくてはならないのなら、いま私がやろうと……。

現在わが社は、有機ELの材料やアグリバイオ事業などの新規事業に力を入れている。石油に代わる一次エネルギーは、そう簡単に登場しないだろう。しかし、いまのペースと値段で誰もが石油を使えるかといえば、それは難しいだろう。いま新規事業の種を蒔かなければ、手遅れになってしまうのだ。

時をうまくつかまえるには、物事の優先順位を考える必要がある。その際の私の基準は、「社会に役立つことかどうか」である。会社が存続することはむろん従業員にとって重要だが、果たしてその会社の事業は世の中の役に立っているのか? そこを考えると、物事の優先順位はおのずと見えてくる。

一方で私は、効率的な時間の使い方というものを考えたことがない。誰かをつかまえて一杯やりながら、ほろ酔い加減で「こうだよな」と頭に思い浮かんだことを、シチュエーションを変えて3回検証してみる。それで答えが変わらなければ、実行するだけである。

効率を考えてぎすぎす生きるより、無駄な時間を過ごしているほうが人生は楽しい。そう、私は思っているのである。

※すべて雑誌掲載当時

(山田清機=構成 芳地博之=撮影)