「時の勢い」は止めることができない。
このことを実感したのは、ロンドンに駐在していた1989年から91年にかけてのことである。当時のヨーロッパは激動の時代だった。ベルリンの壁が89年に崩壊したが、この前後、私は急激な時代の変化を感じて東欧諸国に何度も足を運んだ。91年には湾岸戦争が始まった。ヨーロッパでは開戦のはるか前から、戦争が始まるという認識が広まっており、イギリスのBBC放送は開戦を前提とした番組を何本も組んでいた。開戦直前まで「まさか戦争など起きないだろう」というムードだった日本のメディアとは、大変な違いであった。
時には勢いがあり、その勢いに逆らうと何もできなくなる。そして、時に弾みがつくと、意外なスピードで世の中は変化していく。私はこうした時の性質を軽視しないほうがいいと考えている。
89年は日本にとっても大きな変わり目の年であった。この年の12月に天井をつけた株価は、それ以降、急速に下降していく。ヨーロッパでは私の駐在中からすでに、日本のバブルは崩壊してやがて猛烈なデフレに突入するだろうと囁かれていた。しかし、日本人の多くがバブルの崩壊を明確に意識したのは、おそらく90年代の半ばのことだろう。
ロンドンから経理部長という肩書で帰国した私は、早く出光を上場させないと手遅れになるという危機感を抱いていた。バブルの崩壊と外圧(BIS規制)によって、日本の金融の仕組みが激変していたからだ。銀行は自己資本比率を高めることを余儀なくされ、貸出先の財務体質を厳しく審査するようになっていた。
出光は強気の経営が持ち味だったこともあり、98年には有利子負債が2兆円に達していた。株式は一人のオーナーが所有している10億円のみ。完全な過少資本状態であった。この年、格付け機関のムーディーズが、頼みもしないのに出光を「B2=投機的水準」と格付けした。非上場である以上、こうした格付けをされて銀行から借金ができなくなれば一巻の終わりだ。上場して、同族会社からパブリックな開かれた企業に生まれ変わる以外、出光が存続する道はなかった。
※すべて雑誌掲載当時