数多くの恋愛を経験した画家として有名
私ほど有名で、金持ちの男から去るのか?
ピカソ(画家)
1881年-1973年。スペイン出身の画家。美術学校教師の父を持ち、幼い頃から画才を発揮する。キュビスムの創始者ともいわれる。代表作として『アビニョンの娘たち』『泣く女』『ゲルニカ』などが有名。彫刻や陶器なども制作した。
生涯に8万点以上の作品を描いたというピカソは、数多くの恋愛を経験した画家としても有名だ。
最初の恋人とされるのが、23歳の時に出会ったフェルナンド・オリヴィエ。当時のピカソは、友人の自死の衝撃により哀愁を帯びた青を基調とした絵を描いていた。いわゆる「青の時代」で、画家としては芽が出ず、貧しい暮らしをしていた。しかし、オリヴィエと出会ったことで、色調に変化が現れる。愛をテーマとした優雅な「バラ色の時代」のはじまりである。
彼女との同棲が続く中、画風は、ピカソの代名詞ともなる独特なキュビスムへと移り、画家としても成功を遂げる。しかし、彼女との生活は7年で終わった。破局の原因は、ピカソが彼女の友だちであるエヴァ・グエルと交際をはじめたからだといわれている。
ところが、エヴァは間もなく病死してしまう。三十路を迎えたピカソはやがて、ロシア・バレエ団のバレリーナ、オルガ・コクロヴァと知り合い、翌年に結婚。ピカソは37歳になっていた。
見事にピカソをふった女「ジロー」
しかし、ピカソの恋愛遍歴が終わったわけではない。46歳の時に17歳の少女マリー・テレーズ・ワルテルと知り合い、恋に落ちる。モデルとして完璧な顔と体を持っていたという彼女は、やがてピカソの子を宿した。
その後、ヨーロッパでファシズムが台頭している頃、55歳のピカソは写真家ドラ・マールと出会った。彼女は名作『泣く女』のモデルとしても有名だ。
さらに第二次大戦中に、22歳の画家フランソワーズ・ジローと出会い、恋に落ちた。この時、ピカソは62歳、ジローは22歳。やがてジローとピカソの間には二人の子どもも生まれた。
つまり、ピカソは、30代でオルガと結婚した後も、40代でマリー・テレーズ、50代でドラ・マール、そして60代でジローと恋に落ちたわけである。そして、何よりも普通でないのは、この4人との関係が、70歳になっても並行して続いていた、ということである。
70代の男性との五角関係。その舞台から降りたのはジローであった。別れを切り出した彼女に、ピカソは
「私ほど有名で、金持ちの男から去るのか?」
と愚痴をこぼしたという。それでもジローの決心は変わらなかった。後にも先にも、これほど見事にピカソをふったのは、彼女だけだったといわれている。
たくさんの女性を愛し、モデルにし、創作意欲をかき立ててきたピカソ。ジローにふられても、彼の愛の遍歴は終わらなかった。
80歳の年には、30代の女性ジャクリーヌ・ロックと、二度目の結婚をしてもいるのだ。