薬剤師一筋75年「ただそれだけ」

「私は薬剤師ひと筋でね、ただそれだけですよ。振り返ってみるとあっという間だったけれど、戦争に始まって戦争に終わったような時代で、どうにか仕事をやってこられたのが夢みたいだわね」

比留間榮子さん。いつもここでお客さんの相談に応じる。
撮影=市来朋久
比留間榮子さん。いつもここでお客さんの相談に応じる。

榮子さんは、いつものカウンターの中から淡々と語り始めた。小柄だが、声に芯の強さが感じられる。2年前に股関節を骨折して2年ほど店を休んでいたが、自宅でゴロゴロしているとかえって疲れてしまうという。

「だから働けることは幸せだと思って、休んでる間もずっと働きたいと思っていたの」

約半年間の入院生活も経験した。店に出ている時は1日ひと缶を日課にしていたお疲れ様ビールも、入院中はもちろん飲めない。

「入院中はビールのことなんか全然頭になかったの。飲みたいとも思わなかった。で、家に帰ってきてなんの気なしに冷蔵庫を開けたら、うちは私以外誰も飲まないから、半年前のままビールが置いてあって……」

一緒に店を切り盛りしている孫の康二郎さんによれば、退院直後は「ビールの味がしない」とボヤいていたが、店に出るようになったらおいしいと言うようになったとか。きっと、根っから働くことが好きなのだ。ひと仕事終えた後のビールがうまいとうなる98歳は、やはりギネスものだろう。

「あら、味がしないなんて言ってませんよ」

父の姿を見て薬剤師に

榮子さんが父の創業した薬局で仕事を始めたのは昭和19年だから、ぎりぎり戦前ということになる。東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業してすぐ、店頭に立つようになった。

戦後、東京薬専は新制大学に昇格するが、戦前、大学に相当する学校に進学する女性は少なかった。薬学を教える学校自体も少なく、東京薬専には全国から薬剤師を志す女性が集まっていた。

「沖縄から樺太まで、それこそ全国から同級生が集まっていたわね。薬剤師になろうと思ったのは、高等女学校に入ってからかな。父が一所懸命にやってる姿を見て、だんだんそういう気持ちになっていったんだと思います」