落ち込んだ気分が果たすほかの役割
私がかつて治療した若い有能な弁護士は、この戦略を使う代わりに、素晴らしいプレゼンテーションをやってのけ、無能な上司のお株を奪った。そしてその後すぐに、その上司に巧みに陥れられ(この点については実に有能な上司だったようだ)、うつ病を発症した。
降伏のシグナルがもつ「攻撃をかわす」という機能を、その機能が役に立つような状況——つまり「地位争奪戦での敗退」という状況から捉え直してみると、その状況で落ち込んだ気分が果たすほかの役割についても検証することができる。例えば、社会的な戦略を練り直す、ほかのグループに移る可能性を検討する、仲間になれそうなほかのメンバーを注意深く選んでそこにリソースを割く、情勢が良くなるまで引きこもる、といった可能性が考えられる。
だが、状況という視点から考え直してみても、この「不本意な降伏」説は「社会的なリソース」という一つの分野の、「階層における社会的地位」という一つの側面に限定されている。地位争奪戦において勝ち目がない状態に陥るのは、「目標追求における失敗」というより一般的な状況の、一つのサブタイプに過ぎないのだ。
どんな状況がどんな抑うつ症状を引き起こすのか、研究の余地がある
地位の喪失においては、降伏のシグナルを出すことでより強い力をもった個体からの攻撃を避けることができる。それでは、ほかのタイプの失敗についてはどうだろう? 地位を喪失した後に攻撃を逃れることだけが、抑うつ症状の主な機能なのだろうか?
臨床医としての私のこれまでの体験から考えて、おそらくそうではない。たとえ社会的地位という分野に限って考えても、抑うつ症状は、降伏のシグナルのほかにも、新しい戦略選びや仲間作りの促進といったほかの役割も果たす。
さらに、私のうつ病患者の約半数は、達成できない目標の追求に囚われているようにみえるが、その目標のうち多くは社会的地位に関するものではない。例えば片思いは、地位に関する目標の追求と言えるだろうか? 子どものがんの治療法を探し求めることは?
論争を続けるだけでは、そのような問いに答えることはできない。私たちに必要なのは、抑うつ症状の引き金になるようなライフイベントと状況に関するデータだ。うつ病に関連する脳の異常の解明には、何十億ドルものお金が注ぎ込まれている。また、いわゆる「ストレス」が果たす役割の研究にも、大勢の人が取り組んでいる。
にもかかわらず、具体的にどんな種類のライフイベントや状況がどんな抑うつ症状を引き起こすのかを解明する研究には、資金提供機関から資金が出ていない。これは科学界における大きな恥であり、悲劇と言わざるを得ない(*35~37)。