コバーンがはまったカウンターカルチャーの落とし穴

妥協した結果が、「やっぱメジャーなロック雑誌はむかつく」とプリントされたTシャツ姿で撮影に臨むことだったのだ。そうすることでコバーンは、自分は裏切り者じゃない、敵地に潜入してるだけだと己に言い聞かせた。

「敵の一員になりすまし、体制の組織内に潜入し、内部から腐らせていくんだ。やつらのゲームに参加してるふりをして帝国を破壊し、やつらが手の内を見せてくるぎりぎりのところまで迎合する。そして毛深くて、汗臭くて、マッチョな性差別主義の脳たりん野郎どもは、もうじき、革命児の蜂起から生まれた剃刀の刃と精液の池で溺れることだろう。武装し、洗脳を解かれた十字軍は、ウォール街のビルのあちこちに革命の残骸をまき散らす」(カート・コバーン『JOURNALS』)。

コバーンをはじめ、おれたちパンクは、ヒッピーのカウンターカルチャーに発する考えのほとんどは拒否したかもしれないが、すっかりうのみにした要素が一つだけあることが、ここにはっきりと見てとれる。これはカウンターカルチャーの思想そのものだということ。つまり、ヒッピーが知らずにしていたのとまったく同じことを、おれたちもいつのまにかしていたんだ。ただし違うのは、連中とは違っておれたちは絶対に裏切らない、ちゃんとやると、そう思っていた。

神話に政治上の意味合いを持たせるようになった

あっさりとは廃れない神話がある。ヒップホップでも同じことのくり返しが見られる。ここではカウンターカルチャーの思想は、スラム生活とギャング文化へのロマンチックなまなざしという形をとる。成功したラッパーは巷の評判、つまり「本物であること」を保つために苦闘しなくてはならない。「スタジオ限定のギャング」ではないと示すだけのために銃を携帯し、服役し、撃たれることも辞さない。だから死んだパンクとヒッピーに加えて、いまや偶像化した死んだラッパーも着実に増えてきている。

世間では、2パック(トゥパック・シャクール)が現実に体制の脅威だったとして「暗殺」されたとうわさする。エミネムは武器を隠し持っていたかどで逮捕された件について、世間の評判を落とすよう仕組まれた「まったく政治的なこと」だったと主張する。同じことがくり返されている。