商店街に馴染んだ店……200個がわずか3時間で完売
お店のデザインは、「ちょっと変わったおはぎだからこそ、親しみのある風景にしよう」と考えた。古道具屋で仕入れた水屋箪笥を店先に並べ、扉には大正・昭和に使われていたゆらゆらガラスをはめ込んだ。
すると、外装、内装工事をしている時に、通りがかりのおじいさんが「懐かしいなこれ! 水屋やん!」と声をかけてきたり、レトロな雰囲気に惹かれた若い人が「いいですね、これ!」と話しかけてきた。
オープン前から下町の商店街に馴染んだようで、森さんはホッとした。
母親も、ここまで来たらもう後戻りできないと思ったのだろう。森さんが店先につるす品書きを頼むと、素敵に仕上げてくれた。看板は、金属工芸の作家になった末弟に頼んだ。
プレオープンは2010年7月1、2日。
両日、11時の開店前から大勢の人が並び、200個のおはぎが、わずか3時間で完売した。ひとりで販売を担当した森さんは、写真を撮る暇もないほどてんてこ舞いだった。
その数カ月前に知り合って以来、親しくしていた大阪・箕面に本店を構える和菓子処「かむろ」の店主、室忠義さんは「ほら言ったやろ、売れてまうやろ! 人雇わなあかんで」と言いながら、開店祝いにレジを差し入れてくれた。
プレオープンの2日間、電卓で計算していた森さんにとって、大きな助け舟だった。
「すぐ閉まるお店」が話題になる
正式オープンは、7月7日。
この日はプレオープンよりも長蛇の列ができて、2時間で350個以上のおはぎとわらび餅が売り切れた。この勢いは、なんと4日間続いた。
当時、森さんは基本的にひとりでおはぎをつくり、お店を運営していたので、おはぎがなくなると店じまい。オープンから1週間もすると「すぐ閉まるお店」と言われるようなった。
「この頃は、もうむちゃくちゃでした。11時から店を開いたらすぐに売り切れて、店を閉める。午後は16時からで、それまでに必死でつくるんですけど、すぐにまた売り切れて、その日は閉店。営業が終わってから次の日の分を仕込んでましたけど、もう時間足りひん! ってなってました」
「すぐに閉まるお店」はあっという間に話題を呼び、立て続けにテレビに取り上げられて、さらにお客さんが押し寄せてきた。
いくらつくってもおはぎが飛ぶように売れていくので、夫も自分の仕事を終えた後に自宅であんこを炊いて、必死にサポートした。森のおはぎの2010年は、怒濤の勢いで過ぎ去った。
北新地に店を出した理由
年が明けてもこの流れは変わらず、行列ができる、メディアで話題になる、また行列ができるというサイクルが続いた。
百貨店から催事のオファーも届くようになり、あちこちで出店するようになった。そこで、ひとり、ふたりとスタッフを増やしていき、たくさんお客さんが来てもすぐに品切れしないように、生産体制を強化した。2013年には、夫も仕事を辞めて森のおはぎに加わった。
「もともと、いつかなにかふたりでやりたいよね、ゆくゆくは一緒にできたらいいよねと話していたんですよ。夫も私も想像以上にハードな生活になってしまったんで、辞めるべくして辞めたっていう感じですね」
夫婦で森のおはぎに携わるようになったことでようやく心と時間に余裕が生まれ、次のステップに進むことができた。