まるで奴隷か下僕にでも対するような言い方だったらしい。そんな「奴」がふだんは庶民の味方のような顔をしてテレビに出演している。タクシーという密室がそうさせるのか、ふだんなら絶対に見せないであろう顔をのぞかせることがある。それが彼女の本性なのかどうか。
それ以来、篠崎さんは「奴」が出てくるとテレビのチャンネルを替えるようになったという。テレビに出ている人がみなこのような仮面をかぶっているわけではないだろうが、私もこの話を聞いてから、テレビで彼女を見ると「あなたの美辞麗句はウソっぱちばかりで、どんなに偉そうなことを言っても説得力はないよ」と思うようになった。
ドライバー役でテレビドラマに出演
テレビといえば、私もドラマに出演したことがある。エラソーにドラマに出演といっても、出演するのはクルマだけで私は映らない。ある女優をクルマに乗せるだけのドライバー役である。どういうわけか、たまたま私が会社から指名された。
会社から指示されたのは、撮影日当日、朝9時に江東区の夢の島公園で待機というだけであった。私は指示どおり、9時少し前に現地に到着して、その場にいた関係者にあいさつをした。
「ここで待っていてください」と言われたきり、何時間もそのままだった。そこからは撮影現場も見えない。いつ呼ばれるかわからないので、タクシーを離れるわけにもいかない。
昼すぎにADと思われる若者が弁当を届けてくれた。スタッフ用のものなのだろうか、いつも私が食べる弁当よりも少しだけぜいたくな仕出し弁当だった。弁当を食べ終わると、またすることがない。いつお呼びがかかるか、またどんなことをすればいいのか、なんの説明もないまま、不安な思いでひたすら待った。
無為に時間がすぎていくのを待つのはむなしい。こんなことなら文庫本でも持ってくればよかった。日が傾いてきたころ、ようやく撮影スタッフの集団がやってきて、あわただしくセッティングが始まった。
汗だくになりながら車内で女優を待つ
リハーサルで主演女優が乗り込んでくる。私は運転席でドアを開け、無言でそれを迎える役のようだ。女優はタクシーに乗り込むと、「やだぁ、このタクシー、エアコン入ってるじゃない」と言って、すぐに降りてしまった。真夏だったこともあり、外から来るのは暑かろうと思い、設定温度は低めにしてあった。若いスタッフが飛んできた。
「運転手さん、すみませんけど、すぐエアコン切ってください。撮影終わるまでエアコンつけないでいてもらえますか」
女優に冷房はいけないものなのだろうか。そのドラマのスポンサーが、ある自動車メーカーだということで、私の乗務しているクルマのロゴマークが黒いテープで覆い隠された。その作業を車内で待つ。
エアコンの切れた車内はまたたくまに気温が上昇し、汗が噴き出してくる。いよいよ本番となる。車内に再びその女優が乗り込んだ。ここで私が外に出て、いつもどおり黒タク基準のドアサービスをしたら怒られるだろうな、などと余計なことを考えた。