通り魔を生み出した「背景」を考えているか
言うまでもないが、通り魔やテロなどの行為自体はけっして許されるわけではない。だがそうした行為に及んだ人びとの「差別性」「加害者性」にのみ注目してしまうのはナイーブな議論である。「私たちとはまったく相容れず無関係な狂人が、お門違いな憎悪や差別心を募らせた結果だ」とすれば、自分たちや自分たちの暮らす社会の無謬性や正当性を守りながらたやすく「切断処理」してしまえるが、しかしそれでは「通り魔」という結果を生み出した原因のより深層にあるものを知ることができなくなる。
私たちはかれらのような存在を代償にして、人類史上かつてないほどに「自由で平和で快適で個人主義的な社会」を実現している。
それぞれがいま享受している「自由で平和で快適で個人主義的な暮らし」のために、かれらのような人間を包摂せず「疎外する」と決めたその瞬間、この社会にいる全員でロシアンルーレットを回す。
自分がそのルーレットに当たることは、確率的にほとんどないに等しいが、そのルーレットによって、何億人もいるうちの数名には確実に、予想もつかないタイミングで「必要経費」の支払いが求められる。
しかし私たち全員の手でそれを回している。それだけはたしかだ。