「リンゴ」を創刊したのは、現在も国安法違反の罪で収監されているジミー・ライ(黎智英、72)氏だ。

広東省広州市で生まれたライ氏は幼少の頃、家族環境に恵まれず、12歳で香港へ密航。その後、地下工場で働きながら暮らしてきたが、25歳となった1975年、紡績工場を創立。これがきっかけとなり1981年、ファストファッションの嚆矢こうしとも言われる「ジョルダーノ(Giordano)」を設立した。

ジョルダーノは今も香港をはじめ、アジア一円に店舗網が広がっているが、ライ氏自身は1990年までに全株を放出。これを機にメディア業へと進出し、リンゴ創刊の前には「壱週刊」と名付けた週刊誌を発刊している。

「リンゴ」とは、アダムとイブが食べた「禁断の果実」を指す。ライ氏は「2人がリンゴを口にしなければ、世界に罪悪や物事の是非が存在せず、ニュースも生まれなかった」と社名の由来を説明する。

激しいデモ運動が起きた「雨傘革命」

香港返還を前に、中国と英国は「一国二制度」の旗印の下、「返還から50年間はいかなるルールも維持する」と内外に向けて発表。これにより、体制変更を嫌う香港市民の国外への脱出を抑えることができたほか、世界的な金融拠点としての地位も約束された。

これによって、市民はもとより、多くの外国人や拠点を構える企業はひとまず香港に残れると安心した。一国二制度により、メディアの自由、政治活動の自由は守られるはずだった。

しかし、香港では英国植民地時代から、市民による行政トップの直接選挙が認められていない。返還後も、中国政府寄りの人物が香港のトップである「行政長官」に選出される格好となっており、これは民主派勢力にとって許し難いルールだった。直接選挙を求める最初の大きなうねりは2014年に起きた「雨傘革命」で、3カ月にわたって香港中心部の目抜き通りがデモ隊によって占拠された。

香港中心エリアで抗議する市民=2014年10月28日
写真=iStock.com/Sherman_Sham
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リンゴ日報を「市民を扇動する役割」とみなしたか

その後も香港では民主派による要求がエスカレート、2019年には普通選挙の実現のほか、デモ隊を取り締まる警察の暴力が適切だったかを調べる独立調査委員会の設立、デモ参加者の逮捕取り下げなどを求める「五大要求」を旗印とした民主化デモが勃発した。そして2019年7月には、膠着こうちゃくした事態に我慢できなくなった反対派が議会議場になだれ込み占拠。内部の備品などを徹底的に破壊する暴力行為が起きた。

この間、「リンゴ」は民主化デモの動きを全面的にサポート。警察や当局による暴挙を調べ上げ、鎮圧の不当性を訴える記事を連日報道し続けた。一方、「反体制派」の徹底駆除を是とする中国政府の目には、リンゴ日報が香港市民を“煽動”する中心的役割を担っていると映ったようだ。