司法試験の勉強で衝撃を受けた「手続的正義」という考え方

では、メンバーが納得できる決断のプロセスとはどういうものか。答えは、「手続的正義」という考え方にあります。

司法の世界において、正義の考え方には「実体的正義」と「手続的正義」の2つがあります。「実体的正義」とは、ある結果の内容自体に正当性があるかどうかを問う考え方のこと。いわば、「絶対的に正しい結果かどうか」を問うものです。

対して「手続的正義」とは、結果に至る過程・プロセスに正当性があるなら、正しい結果とみなす、という考え方です。論点は「適切な手続きに則って判断された結果かどうか」にあります。

僕がこの概念について学んだのは、司法試験の勉強をしていたときでした。授業が録音されたカセットテープを聴いていたとき、「ある2人の間で、ケーキを公平に2つに分けるためには、どうしますか」という話がありました。なお、2人はお互いに大きいほうを取りたいと思っていることが前提です。

まず考えられるのは、ケーキを正確に「真っ二つ」に切る方法です。たとえば、超高性能なケーキカットマシンを作り、1グラムの誤差も出ないよう2つに切り分ける。たしかに、お互いに不平不満は出ないやり方でしょう。これは「実体的正義」、つまり結果の正当性を追求する考え方です。

「正解とみなせるルールやプロセス」を組み立てればいい

しかし、「正確に真っ二つに切る」ために、仮に超高性能な機械を作るとすれば、多大な労力とお金が必要です。さらに厳密に言えば、どこまで正確性を追求しても、完全に真っ二つに切ることは不可能です。ミリ単位、ナノ単位で誤差が生じるからです。したがって、現実的な方法ではありません。

そこで出てくるのが、「手続的正義」に基づく次のような方法です。まず、1人がケーキを2つに切ります。その後、ケーキを切らなかった人が2つのうち好きなほうを取り、切った人は残りをもらうというルールを設定する。

こうすれば、両者ともに納得感が得られます。切る人は、自分が損をしないようにできるだけ真っ二つに切ろうとします。その結果、誤差が出た小さいほうのケーキをもらうことになったとしても、自分で切ったわけですから、納得するしかありません。他方で、切らなかった人は自分で「大きい」と思うほうを選択したわけだから当然、不満は残りません。

このように、結果として厳密に真っ二つでなくても、双方が納得するルール・プロセスがあればよい、というのが「手続的正義」の考え方です。あらかじめ手続きを決めておくことによって、お互いに納得できる結論を引き出すわけです。

手続的正義の話を初めて聞いたとき、僕は衝撃を受けました。完璧な結果の正当性を追求しなくても、結果に至るルールやプロセスを工夫することで、結果の正当性を確保できる。いわばフィクションとしての結果の正当性を成立させられるわけです。

僕は「これからの時代は、正解がわからなくなったら『正解とみなせるルールやプロセス』を組み立てればいいんだ」と理解しました。僕はそれを追究していこうと決め、これまで自分なりに研究し、実践をしてきました。