「苦痛の緩和」を求めるベンゾ依存症患者

覚せい剤依存症患者の多くは、「刺激を求めて」「(友人や恋人に)誘われて」など、刺激ないしは快楽希求的な動機、あるいは、人との親密な関係を契機として乱用を始めていたのに対し、ベンゾ依存症患者は、「不眠や不安を軽減するために」「抑うつ気分を改善するために」といった意図から、単独で使いはじめているのが特徴だった。

このことは二つの重要な事実を示唆していた。

一つは、ベンゾ依存症患者は決して「快感」を求めて薬物を乱用しているのではなく、あくまでも「苦痛の緩和」を求めて薬物を乱用している、ということだった。

これは、たとえ快感を引き起こさなくとも、苦痛緩和の作用さえあれば、人は依存症に罹患しうることを意味する。いや、快感ならば飽きるだろうが、苦痛緩和となると飽きるわけにはいかない。自分が自分でありつづけるためには手放せないものとなる。

もう一つは、この「苦痛の緩和」をしてくれる薬物を最初に提供した人物が、しばしば精神科医である、ということだった。事実、私の調査では、ベンゾ依存症患者の84パーセントは、併存する精神障害の治療を受けるなかで依存症を発症していることがわかっている。

これは悩ましい問題だった。というのも、医師のミッションはいうまでもなく患者の苦痛緩和にあるが、そのミッションに忠実であろうとする善意が患者を依存症に罹患させることを意味するからだ。

非常に疲れている男性医師
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依存症に陥る機制はさておき、ベンゾ依存症患者の治療は実に手がかかる。覚せい剤依存症患者の少なくとも倍は手がかかるといってよいだろう。

理由は三つある。

自己判断で中断すれば重篤な離脱症状を起こすことも

第一に、併存する精神障害のせいで、いっさいの精神科治療薬をやめるという選択肢がとれないことだ。

通常、ベンゾを比較的依存性の低い別の薬剤(抗精神病薬や抗うつ薬)に切り替えて精神症状をコントロールすることを試みるが、副作用の問題からそれがむずかしいこともある。そうした場合、ベンゾを規定用量内まで減らしたうえで、医師の管理下で継続服用をさせるという選択肢をとらざるを得ない。

その治療目標の奇妙さは素人でもわかるだろう。たとえば、アルコール依存症患者に「焼酎はやめてビールだけにしなさい」と、そして、覚せい剤依存症患者に「覚せい剤は注射で使わないで、アブリ(加熱吸煙)で使うようにしなさい」と指示する治療は想像できるだろうか。

けれども、ベンゾではときとしてそれをやらないといけないのだ。

第二に、入院が必要ということだ。意外に思うかもしれないが、典型的な覚せい剤依存症の治療は、外来通院だけでこと足りる。

覚せい剤には離脱症状がほとんどないからだ(その分、なかなか「懲りない」という問題はあるが)。ところが、ベンゾは連用で耐性が生じやすく、乱用期間が長いケースでは、急な中断により重篤な離脱症状を呈しやすい。