傍観者から当事者へ

最初の意識とは、知のもっとも低い段階だとされます。なぜなら、意識は何か対象を見たとき、それと自分とは関係なく、あくまでその対象を一方的に眺めているにすぎないと思い込んでいるからです。たとえば職場で何か問題が起きても、すっかり傍観者を決め込んで、自分は関係ないと思っているような態度です。ところが実際には、ほかでもない自分自身がその対象を認識しているわけですから、無関係ではないはずです。

そのことに気づくと、自己意識へと成長します。職場の問題は、自分にも関係があると気づくということです。

さらに自己意識は、他者との関係で認められることによって、はじめて自分の意義を認識していきます。だから他者に認めてもらおうと、アプローチを始めるのです。

社会の中の自分を認識

これについてヘーゲルは、「主人と奴隷の弁証法」と呼ばれる有名な比喩を使って説明します。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの肖像
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Grafissimo)

どういうことか紹介しておきましょう。

二人の人間がお互いに認めてもらおうと生死を賭けて闘うとどうなるか。勝ったほうが主人になり、負けたほうが奴隷になります。すると、奴隷は主人に従属し、主人のために働くことになります。

ところが、やがて主人のほうこそ奴隷の労働なしでは生きていけないことを認識するようになるのです。こうして奴隷は承認を獲得していくというわけです。自己意識もそうなのです。他者に認めてもらおうとして闘い、その結果ようやく承認を獲得する。その繰り返しの中で、他者が構成する共同体、つまり社会の中における自分を認識します。これが最後の理性の段階です。

職場の問題の例でいうなら、自分自身が職場を構成する一員であることに気づき、その中で問題解決のために主体的に役割を果たすということです。もし周囲の人がそんなあなたの姿を見たら、「あいつ成長したな」といってくれるはずです。