「本当の顧客」を気づかせてくれたコロナ禍
その後、伊豆への観光客の増加とともに売上は拡大、それに伴い商品ラインアップも増え、伊豆の柑橘を使用したチーズタルトなども今はある。
もちろんそれらも良い商品だし、コロナ以前の売れ筋でもあった。しかし、長年同社を支えてくれていたのは「塩豆大福」であり、それを買い続けてくれている地元の顧客、そう、この店のファンだったのだ。
同社の社長は反省を込めて「本当の顧客にまったく目がいっていなかった」と語る。
そこで、店舗を再開した6月、当初「初夏のスイーツフェア」を行おうとしていたところを、再開後の顧客の声をもとに急遽「あんこフェア」に変更。創業以来こだわり続けている自社のあんこの価値を再度語り直し、それを支持し続けてくれていたファンに向けアプローチしたところ大好評。ストック型の店では全体で前年比154%、中には前年比180%になった店もあった。
コロナ禍によって「自分たちの提供する価値」と「本当の顧客」が改めて明確になったのだが、実際、歴史ある企業を支えているのはこうした長年のファンであることが多い。それに気づくことができたという意味では、コロナショックは絶好の機会だったと言っていい。
もちろん、そのベースにはこの会社が長年、地元の人に愛される品質の高い和菓子を作り続けてきたという実績があるのは、言うまでもない。我々は一見、派手なお客さんや新しいお客さんばかりに目を奪われてしまう。しかし、本当にそれは「我々が一生付き合っていきたい顧客なのか」をしっかりと見直す必要がある。
そして、その見直しと同時に明らかにせざるを得ないものは、自分たちはその顧客に、何を通じて、どんな価値が提供できるのかということなのである。
「機能」ではなく、どんな「価値」を提供できるか考えるべき
自分たちの顧客に対する提供価値のことを、マーケティング用語で「カスタマー・バリュー・プロポジション」(Customer value proposition)という。これは近年、多くの企業で重視されているテーマだ。ここがあいまいでは、顧客に対して価値を提供できているのかどうかもあいまいになってしまう。
ここで勘違いしてほしくないのは、「自分たちの提供する価値とは何かを明確化すること」とは単に、「どんなモノを作るか」「どんなモノを売るか」ではない、ということだ。今の顧客が求めているのはモノではなく「その先にある価値」であり、その本質は「心の豊かさ」だ。提供しているのはモノだとしても、その価値はそのモノを使うことによって得られる幸福感だったり、そのサービスを利用することによって生まれた時間だったりする。
たとえば、「ハーレーダビッドソン」のバイクを購入する人は、移動するという機能を欲しているのではない。それに乗ることによって得られる「心の豊かさ」のためである。あるいは高級トースターを買う人は、パンを焼くという機能ではなく、おいしいパン(それを焼くプロセスも含む)によって得られる豊かな食卓の時間を得るために高級トースターを買っている。
同様に、「そのモノやサービスを提供することで、顧客にどんな価値を提供できるか」を、今一度考え直し、具現化すべきなのだ。