私は自分自身に自信を持てるタイプではなかったので、目標も控えめでした。しかし、その年の1年の目標には「全日本選手権優勝」と書いたんです。初めてのことでした。

そのとき想像したのは、ずっとサポートしてくれていたコーチたちに「この子を教えてきてよかったな」と思ってもらうことでした。ものすごく厳しかったコーチたちを、何とか泣かせたくて。

ところが、いくらがんばっても空回りが続く“スランプ状態”に陥ってしまい、直前は泣きながら練習していました。でも最後の1週間、本当に基本的な練習に集中したことが突破口になったのです。ジャンプなら半回転の練習から見直すなど、すべての基礎確認を1週間かけてやっていきました。

「自分が何のために、この目標を達成したいのか」

石井大貴『「目標」を「現実」に変えるたった3つのルール』(プレジデント社)
石井大貴『「目標」を「現実」に変えるたった3つのルール』(プレジデント社)

そのとき一番大事だったのは「自分が何のために、この目標を達成したいのか」ということの再確認だったと思います。人は追い込まれているときは、それが見えなくなります。そこをシンプルに、「今、どうしてこれがやりたいのか」と見つめ直すことができました。

それで、もう一回覚悟が決まり、結果として全日本選手権優勝という結果が出たのだと思います。

今の目標は、プロフィギュアスケーターとしてよいパフォーマンスができる限り、自分のベストを尽くし続けていくこと。そして、学校や企業で講演することが多いので、自分の経験をきちんと言葉にできるようにしていくことです。伝えるスキルを磨き、少しでも多くの人の夢を叶えるお手伝いをできたら、と思っています。

著者・石井大貴の取材後記

鈴木明子さんのお話を伺って、アスリート・表現者の中でも特出した「想像力」の持ち主だと感じました。

それゆえ、ネガティブな想像に陥ることもあったのかもしれません。

しかし、「自分の喜びの先に他者の喜びがある」という本質に気づき、ご自身の考えや目指す方向に自信が持てるようになったのではないでしょうか。

鈴木 明子(すずき・あきこ)
1985年3月28日、愛知県生まれ。大学入学後に摂食障害を患い、03~04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。翌年、初出場となったバンクーバー五輪で8位入賞した。14年ソチ五輪では2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に引退した。現在はプロフィギュアスケーターや振付師として活躍する傍ら、講演活動に力を入れている。
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