鉄道には車両や線路の保守・点検作業員の存在が欠かせない。彼らを最も悩ませてきたのが「黄害」だ。日本の列車では120年もの間、「開放式トイレ」が使われ、汚物が線路上に垂れ流されていた。ジャーナリストの神舘和典氏と編集者の西川清史氏が、鉄道のトイレ事情に迫った——。

※本稿は、神舘和典、西川清史『うんちの行方』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

寝台特急北斗星
写真=iStock.com/iPhotoLovers
※写真はイメージです

開放式トイレの鉄道歴史秘話

日本の列車トイレ史を見てあらためて驚くのは、開放式トイレ時代の長さだ。明治時代から約120年間、線路に直接捨てていたのだ。

その間、沿線の住民からクレームが殺到。黄害(おうがい)と報道され、線路の安全を確認しメンテナンスも行う保線の職員からの訴訟もあったという。それでも100年もの間、開放式トイレの列車は走り続けていた。

開放式トイレの全盛期、旧国鉄時代の職員はいったいどんなリスクを抱えて働いていたのだろう――。JRの広報に話を聞こうとしても、新型コロナウイルス感染拡大の真っただ中でもあり、なかなか応じてもらえない。

そこで個人的な伝手をたどり、やっと当時の鉄道マンにコンタクトをとった。会うことができたのは株式会社鉄道会館の相談役、井上進さんである。

わざわざ相談役にお目にかかってお聞きするのがウンチの話とは――。本当に申し訳ない。でも、どうしても知りたい。

井上さんは1977年に旧国鉄の京都・向日町運転所に勤務していたそうだ。

「向日町運転所勤務中には、交番検査という車両の下部の機械類を細かく点検・検査する作業が日常的にあり、この時期に黄害にあいました。とくに581系の点検では大変な目にあいました」

トイレの近くの車両はとくにすごかった……

国鉄581系電車は、1967年に走り始めた世界初の寝台電車。鉄道マニアの間で人気だった車両だ。夜は博多・新大阪間を「月光」として、昼間は新大阪・大分間を「みどり」として大活躍した。その後車両数を増やし、博多・名古屋間を寝台特急「金星」、名古屋からは特急「つばめ」になるなど、長い距離、多くの乗客を運んだ。