戦後のいけにえのように葬られた政治家

あれから45年が経ちますが、日本社会は変わっていない。

菅政権を見てください。角栄と菅首相を同列には扱いたくはありませんが、あえて言えば政権発足時、支持率64%を記録したものの、コロナ対策の失敗が響き、すぐに30%台前半にまで落ち込んでしまった。「パンケーキおじさん」がこの体たらくです。

昭和の時代からずっと、同じことが繰り返されている……。以前からそんな問題意識を持っていました。平成が終わり、令和がはじまろうとしていた2年ほど前、メディアから平成とはどんな時代だったのか、総括してほしいという依頼がいくつかありました。私は平成とは、昭和の後始末をした30年だったと考えています。

では、昭和とはどんな時代だったのか。高度経済成長とは何だったのか。なぜ、バブルが起き、崩壊してしまったのか。われわれは戦後、どんな過ちを犯したのか。過ちの責任は誰がとったのか……。

『ロッキード』を出した小説家の真山仁さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ロッキード』を出した小説家の真山仁さん

平成を総括する前に、昭和ときちんと向き合う必要がある。戦後の高度経済成長期に育った私にとって、昭和という時代は小説家としてもとても重要なテーマだったのです。

デビュー作の『ハゲタカ』でも、昭和という時代をカネという面から考えてみたいと思いました。昔から日本の政財界は、カネにまみれていた。けれど、そのやり取りは他人に見られないようテーブルの下で行われていた。それが高度経済成長、バブルを経て、ハゲタカファンドが登場し、テーブルの上に札束を露骨に積み上げるようになった。『ハゲタカ』で描いたのは、昭和がもたらしたひとつの現実です。

昭和という時代と改めて向き合おうと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、戦後のいけにえのように葬られた田中角栄と、違和感がずっと拭えなかったロッキード事件だったのです。

繰り返される田中角栄ブームのワケ

——2015年ごろにも何度目かの田中角栄ブームが起き、関連する本がたくさん出版されました。田中角栄のなにが、日本人を惹きつけるのでしょうか。

ひとつは『日本列島改造論』でしょうね。結果的には地価の高騰を招きましたが、地方創生の最初のひな形になった。現在の地方創生政策も『日本列島改造論』をなぞっているだけと言ってもいい。角栄は、東京から北海道、鹿児島まで日本列島の至るところに、新幹線と高速道路網を張り巡らせようとしました。角栄失脚後もその計画が粛々と続けられ、日本全国あらゆる場所に日帰りができるようになった。

角栄は「決断と実行」の政治家と呼ばれました。その背景には、国民の生活を豊かにしたいという純粋な思いと、彼が抱えるコンプレックスがありました。

角栄が生まれ育ち、地盤とした新潟県を含めた日本列島の日本海側は、かつて“裏日本”と揶揄やゆされていました。雪深く、東京をはじめとする太平洋側の当たり前が通用しない。