※本稿は、ビビる大木・著『ビビる大木、渋沢栄一を語る 僕が学んだ「45の教え」』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
番組で与えられた役割に全力をつくす
僕は、巨人軍の亀井善行選手なんです。いろいろな監督に僕は呼ばれて顔を出して、オンエアの仕方で、「今日、大木は8番で打ってくれな」「今日珍しく1番な」と言われると、「わかりました」みたいな、本当に日々打順が変わるわけです。
ときには、「とりあえずスタートはベンチにいてくれ」という場合もあります。途中で、「大木いくぞ」ということもありますから、言われたとおりに対応します。ですから、いろいろな打順、ポジショニングを経験することは、46歳の僕にとって、これからどんどん大人になっていくうえでは、プラスになることが大きいと思っています。
ただ、見る人によっては、器用貧乏と言ってくるわけです。こちらは器用貧乏ではなく、監督が望まれることに不器用なりに対応しているだけです。言われたら、とりあえず「やらなきゃな」と思うわけです。そのために、スタジオに行っているわけですから。それで、器用貧乏みたいなことを言われると、「うーん」と唸り声を上げて、難しい表情の僕になっているはずです。
そこで、監督に言われたから今日は6番というときには、「じゃあ、プラスアルファで何をするか」ということなんです。そのプラスアルファが見つからないときもあるので、「ビビる大木、苦しむ46歳」になります。これは、僕に限らず同世代のお笑い芸人たち共通の思いです。
「大木さん、器用だよね」と言われるけど…
「大木さんは、器用なんですか?」と雑誌の取材でも質問されることがあります。「僕、器用じゃないですよ、不器用な人間なんです」と答えます。仕事をしていても、「大木さん、器用だよね」と言われます。
たぶん、相手は好意的に言ってくれているのでしょう。そして、「ああ、器用に見えてるんだ。そうか、僕の裏の気持ちを知らないからそう見えているのかな」と思っています。
しかし、問題は「器用か、不器用かの問題ではなく、どちらにせよ、生きていかなきゃならん!」ということです。
そうなんですよ、結局は。「器用であろうがなかろうが、生きていくしかない」という前提で、生きていく。そうなれば、努力するでしょう。ここに、お笑い芸人ビビる大木46歳の矜持があると思っています。