「武蔵小杉」の「トイレが使えないタワマン」は全国で有名に…

筆者は今でも、あのメディア対応はまずかったと思っている。当事者から情報がとれないなか、取材で現地に殺到した各メディアは情報を求めて右往左往した。公道と地続きのエントランス付近の敷地内に入っただけで、居住者から「不法侵入だ!」と怒鳴られた記者もいた。こうした広報対応をとれば、記者たちがそのタワマンのことを同情的に捉えるはずもない。結果、「豪華なタワマンを手に入れた富裕層がひどい目に遭っている」といった庶民が溜飲を下げる一種の“エンターテインメント”になっていった。

被災直後はもちろん、その後半年以上にわたってさまざまなメディアがその被災タワマンに関する報道を続けた。当然、筆者のところにもテレビ出演やコメント取材、あるいは原稿依頼が殺到した。

あの台風19号は、国土交通省の資料によると「死者90名、行方不明者9名、住家の全半壊等4008棟、住家浸水7万341棟」という甚大な被害をもたらした。にもかかわらず、メディアは延々とエレベーターやトイレ、電源が使えなくなったタワマンの惨状だけを繰り返し報道を続けた。なぜなら、世間の関心を集めたからだ。

そのおかげで、「武蔵小杉」という街と「トイレが使えないタワマン」のことは関東以外の多くの人も知るところとなってしまった。

報道では、そのタワマンの名称までは出てこない。しかし、ネット社会の今では誰にでもすぐにわかってしまう。SNSでは具体的なマンション名が飛び交った。

離婚協議中の妻と35年返済のペアローンで5年前に購入

「このマンション、売却は急がれますか?」

男性がこくりと頷いた。そして、すがるような眼差しを向けてくる。

「実はこのマンションは今、離婚協議中の妻と……」

部屋で眉間に手をあててうつむく男性の影
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです

聞けば、35年返済のペアローンで5年前に購入したものだと言う。ということは、一緒に来た女性は奥さんではないということか(後でわかったことだが、別居後にお付き合いを始めた女性だったのだ。彼女もどこか不安そうな表情をしていた)。

およそ5年前に購入したタワマンは、当時築7年だった。アベノミクスと黒田日銀総裁の異次元金融緩和で、マンション市場が局地的に高騰を始めた年に建てられたものだった。

「おいくらでお買いになったのですか?」

男性から聞いた額は、新築分譲時よりも15%ほど値上がりした水準だった。

「それでも、あの台風の前だったらさらに1割ほど上乗せして売れましたね」
「はい。私もそのつもりでいたのですが」

男性が苦しそうに答える。