学園紛争で外交官の夢をふさがれた
幅広い知見を持つ尾身氏の背景には、悩める青春時代があったそうだ。
「高校時代に1年間のアメリカ留学に行きました。当時はケネディ大統領のころで、アメリカの生活水準には驚くばかりでした。帰国して外交官に憧れ、東大法学部を目指したものの、学園紛争で東大の入試が中止になり、進学した慶應大も入学早々ストライキに入りました。社会全体が、“外交官か商社マンになりたい”などと言おうものなら、“人民の敵”と言われそうな雰囲気でした。目の前の道がふさがれたようで、心がポキポキッと折れてしまい、自分が何をしたいのかわからなくなりました」
猛勉強の末、学費無料の自治医科大学へ
大学の授業がなくなり、時間を持て余していた尾身青年は、渋谷の本屋に立ち寄って、哲学、宗教、人生論、さまざまな本を乱読していたという。
「当時、幅広いジャンルの本を読めたことが、自分の中で大きな糧になっていると思います」
そんな中、偶然目に入ったのが、『わが歩みし精神医学の道』という本だった。内村鑑三の息子である内村祐之が、精神科医として歩んだ人生論をつづった一冊だ。
「それが医学の道との初めての出合いでした。こんなにも人間味があふれ、人に喜んでもらえる仕事があるのかと。悩める心にビビッときたんです」
父親の反対を押し切って慶應大を退学して猛勉強。これ以上親には迷惑をかけたくないと、学費が無料の自治医科大に1期生で入学した。その後、医師としての進路に悩んでいた時に、ユニセフで働く高校のアメリカ留学時代の友人に「WHOで働いたら?」と言われたのがきっかけで、現在の道に進むことになったという。
紆余曲折はあったが、尾身氏の業績は、外交官と医師を掛け合わせたようなもの。今振り返れば、天職に行き着いたといえそうだ。
「『得手に帆を揚げる』ということわざの通り、自分の好きなこと、得意なことなら辛くても耐えられる。ただし、人生の入り口に立つ君たちに、“得手”とはそう簡単には正体を現してくれません。いま進むべき道に迷っている人がいたら、思う存分迷ってほしい。その間に自分自身に正直に向き合っていれば、いずれ“得手”を見つけられるはずです」