私は人と人とを区別する「境界線」は存在しないと考えています。これは性別についても同じです。もともと両親が「男性はこう、女性はこうあるべき」という教育を行っていなかったため、私は性別について特定の認識がありませんでした。また、十二歳の頃に出会ったインターネットの世界でも、性別について名乗る必要はなく、聞かれることもありませんでした。

改名の後押しになった日本人友人の言葉

二十四歳になって、私は自分がトランスジェンダーであることを初めて明らかにしました。そして、二十五歳のときに、名前を唐宗漢から唐鳳に変えました。私の選択を両親は支持してくれ、英語名をオードリー・タンにしました。

実は名前を変えるとき、この「オードリー(Audrey)」という英語名を先に決めました。オードリーは男女どちらにも使えて、ニュートラルな名前であると感じたからです。そのあと、漢字の名前を考えているときに、まず「鳳」という字を選びました。

台湾では漢字三文字の名前が一般的なので、もうひとつ何か良い字と組み合わせてから役所に改名申請をしようと思っていたのですが、そのうち、ある日本の友人が「『鳳』という漢字は日本語で“おおとり”とも読むから、オードリーの日本語発音と似ているね」と教えてくれたのです。そこで私は、「だったら新しい名前は『鳳』だけにしよう」と思い、そのまま役所に「唐鳳」と申請したのです。台湾では漢字二文字の名前は少数派ですが、決して珍しくはありません。

「男女」の枠にとらわれない自由

このようにして、私はトランスジェンダーとしての生き方を選択しました。トランスジェンダーは、物事を考えるときに「男女」という枠にとらわれることがなく、その分、自由度が高いように感じます。また、自分はいわゆる少数派に属していますから、すべての立場の人々に寄り添うことができます。これはトランスジェンダーのよさだと思っています。

私は子供の頃、左手で字を書いていました。みんなが右手で字を書いていることには気づいていたので、その頃から「自分はマイノリティである」という経験をしています。「マイノリティであるからこそ、他の人には見えない視点を持つことができるかもしれない」とも思います。

大事なのは、マイノリティかどうかに関係なく、その人の貢献を社会が認めるかどうかです。仮にマイノリティだとしても、その貢献を社会が認めてくれれば、自分が先駆者になったような気分になるでしょう。

ノートに鉛筆の絵
写真=iStock.com/Elena Volf
※写真はイメージです