「中華民族」を理解しなければはじまらない

そのため局外にいる者には、新疆の「各民族」が「中華民族」の一員だといわれても、およそ不可解である。当事者たちも確乎たる理解があって、それを呼号したり、受容したりしているのかどうか、われわれにはよくわからない。わかるのは、新疆に国際的関心が高まるなか、あえて「中華民族」を呼号する必要性が、決して小さくはないという事実だけである。

中国マップ
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それなら問題を観察するにあたっては、「中華民族」という概念をひととおり理解しなくてははじまらない。そのためにはまず、長い履歴をたどるところからはじめなくてはならないだろう。

「中華民族」とは中国古来のオリジナルな漢語・中国語ではない。翻訳語である。原語はChinese nationであって、だからその定訳になるまで、一定の時間を要したし、その間は熟した語句でもなかった。20世紀のはじめ、和製漢語を媒介に西洋の概念を翻訳紹介したジャーナリストの梁啓超りょうけいちょうあたりが使い出したというのが定説である。

梁啓超は国家・国名としての「中国」「中華」をとなえ、その「国民」の創出をうったえ、一体化をよびかけた。そのかれから「中華民族」概念がはじまったというのは、おそらくまちがいあるまい。

もっとも梁啓超じしんは、「中華民族」といいながらも、それをしばしば「中国民族」と言い換えている。漢人のみを指すことも、それ以外の種族を含んで言うこともあったから、字面も含意も定まっていない。それ以前にnationにあたる「中国」「中華」「民族」の意識も実体も存在せず、これから造ろうとしていたのだから、当然といえば当然である。

普通名詞にすぎなかった「中国」「中華」

そもそも「中国」ということばが、現代語のそれと同義ではなく、中央の地くらいの意味だった。三千年あまり前は、首都とその近辺を指す熟語にすぎない。ほぼ同義語の「中華」も、世界の中心という以上の意味はなかった。特定の地域でもなければ、もちろん特定の集団でもない。それがnationでありうるはずはないのである。

しかし「中国」「中華」という漢語を使うのは漢人・漢族であった。人間集団はつねに自己中心的なので、「中華」という世界の中心も、漢語を使うかぎり、自ずと自らの居住地を指すことが多くなる。

その漢人集団は、周囲の異集団と交わり、せめぎ合い、対立と共存・協働をくりかえして過ごしてきた。紀元前11世紀まで、およそ黄河流域に限られていたその空間的な範囲は、やがて北方の草原遊牧世界との関係が深まるとともに、湿潤米作地帯の長江以南にも拡大する。