業界団体の仕事は二の次となり、前例踏襲になりがち
そもそも自工会を含めて業界団体や経団連などの経済団体の実態は恐らく大同小異で、十年一日のごとく変化は少ないものである。民間企業なら時代の変化とともに社内体制も変えなくては生きてはいけない。ところが業界団体の運営には企業経営ほどの緊張感はない。加盟社が会費を払ってくれる限り、つぶれることもないからだ。
しかも団体トップは加盟社の持ち回りで通常2年から4年で交代する。企業トップと団体トップを兼務することが多いから、仕事は出身企業の経営の比重が高くなるのは当たり前である。業界団体の仕事は二の次となり、前会長の方針を前例踏襲し、任期を全うすればよい。そんな心理は団体の副会長や理事などの役員も同じだろう。業界団体の活動は業界内のお付き合い程度でやればよく、あるいは業界団体を通じて何らかの情報が得られれば「御の字」であるとなりがちである。
だが今の自動車産業が置かれた状況は前例踏襲を放置できるような状況ではなくなった。そんな問題意識を豊田会長は昨年9月以降、持ち始めたという。豊田会長は2012年から14年まで1度目の会長を務め、18年から2度目の会長に就いた。昨年9月には2年の任期が切れる20年5月以降も続投することが内定し、今は22年までの任期の途中である。
12の委員会、その下に55の部会、さらにその下に分科会…
2度目の会長に就任した豊田氏は「自工会がとても硬直した組織になっていた」と感じたようだ。2000年以降に就任した会長はいずれも2年で交代してきたため組織の見直しまで手は回らなかったが、豊田会長がようやく組織改革に手を付け始めたといえる。
昨年12月の理事会に組織改革の方向性を示し、改革に乗り出した。1月から3カ月かけて自工会の問題点をトヨタ、ホンダ、マツダの担当者らが洗い出した。委員会やその下の部会、分科会などの組織と事務局体制が時代にそぐわないことや、自工会の意思決定がボトムアップに偏り、理事会によるガバナンスが不十分であったことが浮き彫りになった。
これまで12あった委員会の下には部会が55もあり、そのまた下に分科会が存在した。部会や分科会は国交省や経産省の担当課などとの折衝もする。かつては自工会の検討事項の原案づくりを官民で進めていたようで、「過去には官民癒着の批判もあった」(経産省OB)という。