崖っぷちの藤井二冠にかけた言葉

自主性を尊重するため弟子に将棋を教えたり、将棋に対する自分の考えを押し付けたりなど必要以上に手出しはしないという杉本。時代をさかのぼり、それは杉本が、師匠の板谷九段から受けた指導法でもあった。

将棋の世界では奨励会(日本将棋連盟のプロ養成機関)でプロ(四段)を目指す三段までが最も苦しいという。満26歳までに四段という年齢制限があり、8割がプロ棋士になれない厳しい世界だ。16歳で二段であった杉本だが、不調に陥り、負ければ降段という対局があった。初段となればプロの道が遠のく──追い詰められた杉本に対し、板谷九段は笑い飛ばしたのだった。

板谷先生は私がまだ弱い頃から、「杉本のことは心配しとらん。いつか必ずプロ(棋士)になる」と言ってくれていました。師匠の姿勢から弟子の未来を信じる大切さを学びましたね。

将棋棋士八段 杉本昌隆氏
将棋棋士八段 杉本昌隆氏

本人(弟子)が崖っぷちにいると感じているとき、こちら側も同じように深刻になると、ますます相手は「崖っぷちだ」と深刻に受け止めます。“負のオーラ”が伝染していくんです。あの藤井二冠でさえ、のちにプロ相手には何十連勝しても、プロ入り最後の難関である三段リーグ(30人前後の三段同士が競いあう)では13勝5敗。そういったプレッシャーがかかっているときは、私も弟子に「心配していないから」という言葉をかけるようにしています。

まあ藤井二冠に対しては無理にそう言ったわけではなくて、本当に心配していなかったのですが(笑)。でも後から彼が「(その言葉で)ほっとした」と言っていて、よかったなと思います。若い時代の失敗は、後から振り返れば取り返しのきくものばかりですし、その一瞬ではすごく大事な場面でも、「たいしたことないよ」と声をかけると、相手は楽になりますから。

声かけ1つにまで杉本が配慮を見せるのは、自身が“将棋嫌い”の時期を経験したからかもしれない。師匠に出会う前の杉本は、強い大人相手ばかりの、“英才教育”を施されていた。将棋の楽しさを忘れかけていたという。

そうですね、その点は師匠になって気をつけています。みんな将棋が好きだから続けている。つらい時期も「将棋が楽しい」という思いにかえれると踏ん張れますから。

普段の対局のときには「いい内容にするように」と声かけをします。すでに頑張っている弟子に「頑張れ」と言うことはできないし、そういった声をかけた後で負けてしまうと「自分は頑張れていなかったのか」と受け止めてしまう。しかし将棋の“いい内容”というのは、負けたってできること。自分の力を出し切れ、ということです。