嫌な上司の赤ちゃんの頃の顔を想像してみる

赤ちゃんに憎しみを抱く大人はいません。あなたに対して失礼なことを言ってくるクレーマーがいたとして、その人がよちよち歩きの赤ちゃんだったとしたら?

気まぐれで指示がコロコロ変わり、現場を混乱させる困った上司が、もしもようやく言葉をしゃべれるようになった幼い子どもだったとしたら?

「まあ、赤ちゃんなんだから仕方がないか」と許せるんじゃないでしょうか。

携帯電話を耳にあてる赤ちゃん
写真=iStock.com/c8501089
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今度、困ったことを言ってくる人がいたら、それがスーツを着た五〇歳の男性でも、お化粧が濃い怖そうなおばさんでも、「この人は赤ちゃんの頃、どんな顔をしていたのかな?」と想像してみてください。

その上で、本当に生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしているかのように、話を聞いたり、声をかけてみてください。

人間関係で悩む人からは、「あの人は上から目線だからムカつく」という相談をよく受けますが、抱っこされた赤ちゃんの上から目線なんて、かわいらしいもんです。

幼き心を持った大人は多いもの。上から目線に、させてあげなさい。その代わり、あなたは上も下も包み込む、大いなる目線でいてください。

あなたの志を知らない人の非難はスルー

私のところには「僧侶がYouTubeとは、落ちたもんだ」「さとりも開いていない生半可な坊主が、偉そうに説教か」といった誹謗中傷が時々寄せられます。一般人にも仏教関係者にも“アンチ大愚”はいるでしょう。

悪口、陰口、中傷は影のようなもの。光があれば、影が生まれます。何かを言えば反論があり、何かをすれば非難される。それが人間の社会です。世の中の全員に評価され、理解されるということはありえません。

こうした誹謗ひぼう中傷に対して、私が決めているルールがあります。それは、誰が言ったかによって受け止め方を変えること。

私のことを理解し、いつも応援してくださる方、自分では気がつかないことを注意してくださる方に「大愚さん、それはおかしい」と苦言を呈された場合は、しっかり受け止めて反省します。逆に私の生活や志をよく知りもしない人に何か言われたところで、動じる必要もないですし、実際に動じません。