悪意は投げつけた本人に返っていく

「汚れのない人、罪のない人、清らかな人をそこなえば、その愚者にこそ悪は戻る。逆風に投げた微塵みじんの如く」とは、ダンマパダ(法句経)に登場するお釈迦様の教えです。

「汚れも罪もない心の清らかな人に対して、悪口、意地悪、危害を加えるようなことがあれば、加えた人自身にその悪意が降りかかる。まるで向かい風にゴミを投げつけたときのように」という意味です。

お釈迦様のおっしゃるとおりだと思います。自分が正しく生きていれば、誰かからの誹謗中傷を気にする必要はありません。

ところが、相手が投げたゴミを、悪意を持ってまた倍返しすれば、今度は倍になって自分に戻ってくる。仏教は頭ごなしに「悪口を言われても耐えなさい」と言っているわけではなく、因果の法則を説いているんですね。

誰に何を言われようと、後ろめたいところがなければ聞き流せばいい。でも、自分に自信がない人は、「あんなことを言われた」「私が間違ってるのかな」と、悩んでしまうのです。そこで、誹謗中傷を受けたときに怒ったり、落ち込んだりすることがないよう、普段からお勧めしたいのが慈悲の瞑想です。

「かわいそうな人」の幸せを願う

次の四つの言葉を自分の中で繰り返してみてください。

私の嫌いな人々、そして私を嫌っている人々が幸せでありますように。
私の嫌いな人々、そして私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように。
私の嫌いな人々、そして私を嫌っている人々の、願い事がかないますように。
私の嫌いな人々、私を嫌っている人々にも覚りの光が現れますように。

自分が好きな人や、自分のことを好いてくれる人の幸せなら、誰だって自然に願えます。でも、自分が嫌いだし、自分のことを嫌っている人の幸せを願うのは難しい。

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幸せを願うどころか、「許せない」と腹を立てて、「いつかひどい目に遭わせてやる」と恨んだりします。

でも、ちょっと考えてみてください。

ネットでも実生活でも、いつも他人を批判し、悪口を言っている人というのは、実はかわいそうな人たちではありませんか? 自分が満たされていて、やりたいことに夢中な人は、他人を中傷している暇なんてありません。

かわいそうな人たちのために、慈悲の瞑想をしてみなさい。効果は保証します。

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