ナゴルノ・カラバフとはどんな場所か

アゼルバイジャンは古くから産油地として欧州で知られてきた。およそ200年前から原油採掘が行われてきたが、その資源の有望性から、かのヒトラーがバクーを含むカスピ海沿岸地域の占領を目指したエピソードもある。

油田掘削は地下に向かって穴を掘る必要があるが、そのバクーでの掘削(ボーリング)に使う爆薬で大儲けしたのがダイナマイトの発明者で、のちにノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベルだ。今でも、バクーの郊外に行くと、一般住宅の庭先でも原油採掘用のポンプが稼働している様子がみられる。

そんな国にある「ナゴルノ・カラバフ」とはそもそもどんな場所なのだろうか。

外務省の資料をもとに要約すると次のようになる。

ナゴルノ・カラバフとはどんな地域か?

・ナゴルノ・カラバフ自治州住民の多数はアルメニア人が占める。
・アゼルバイジャン領だが、ソ連末期、アルメニアへの帰属変更要求が高まり、1991年のソ連解体に伴いアルメニアとアゼルバイジャンの間で武力紛争に発展。
・アルメニアは1993年までにナゴルノ・カラバフほぼ全域およびアルメニアとの回廊地帯を占領。
・これにより、アゼルバイジャンは領土の約20%を失う格好に。
ナゴルノ・カラバフ周辺地域
ナゴルノ・カラバフ周辺地域(10月8日現在、BBC調べ)

現状において、ナゴルノ・カラバフにはアゼルバイジャンの実効支配は及んでおらず、その周辺地域は、アルメニアに占領された状態が続いている。

米仏露が介入、国連決議もしたが…

1994年、ロシア及び欧州安全保障協力機構(OSCE)の仲介によりいったんは停戦に合意した格好になった。アメリカ、フランス、ロシアの3カ国が共同議長となっているOSCEミンスク・グループによる仲介で、1999年以降、アルメニアとアゼルバイジャンの両国首脳、外相などさまざまなレベルで直接対話が継続して行われているが、最終的解決に向かうメドは立っていない。

一方、国連安全保障理事会でも決議が行われている。

OSCE仲介の停戦合意前年の1993年10月、「即時に相互に、OSCEミンスク・グループが提示したタイムラインに従い、近年(アルメニアが)占領した両移動からの軍隊の撤退を含む諸事項の実施を要求する」との安保理決議案874が採択されている。

こうした外交的努力にもかかわらず、ナゴルノ・カラバフとその一帯は、アルメニアの保護国のような形で「ナゴルノ・カラバフ共和国」と名乗り、事実上独立国のような格好となっている。ただし、他の国による国家承認はなきに等しく、旧ソ連から独立した国連非加盟国が認めているにすぎない。