東大のイメージと現実はあまりにも違う

だから、東大は依然として日本中から志願者が集まる国内最難関大学という地位をキープしているし、書店の平台には「東大に合格する勉強法」とか「わが子を東大に入れる育て方」といった本が数多く並んでいる。

進学校や予備校も東大を志望する学生を重宝し、さまざまな誘い文句で学生たちを東大受験へと駆り立てている。

数学を勉強している学生
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実際、かつて僕は母校の中高一貫校から、「最近、うちは医学部を志望する生徒が増えているのだが、学校経営の点ではあまり望ましいことではない。新入生の数を左右するのは東大合格者数だ。東大志望者が増えるよう、東大卒の君に講演をしてほしい」と頼まれたことがあった。

しかし、実際に東大に通っていた人間として、これらいわゆる東大の「表」のイメージには常々、大きな違和感を覚えてきた。世間で共有されている東大や東大生、東大卒業生についてのイメージと、現実のそれらはあまりにも異なっているのだ。

テレビのなかの明石家さんまは、ひな壇に並んで座っている東大生たちに向かって「自分らすごいなぁ~。ええなぁ~」とかなんとか言っていたが、とんでもない。

東大に入ってしまったために、早死する人もいる

東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない。

むしろ逆に、東大に入ったある種の人間は、東大に入ったがゆえにつらい人生を送るはめになる。個人的な感覚では、「人生がつらくなってしまった人の方が多いのではないか?」とさえ思う。

極端な話、東大に入ってしまったがために若くして死ぬことすらある。僕たち東大に通っていた人間は、そのことをよく知っている。

東大に入っても夢がかなうとはかぎらない。逆に、東大が独自に採用している「システム」によって、小さいころからずっと抱いていた夢が無残に絶たれてしまうこともある。

東大生だからといって「頭がいい」わけではない。講義に出席すらしない学生が大勢いて、日本の大学のなかでも際だった留年率をたたき出しているのが東大だ。

「東大卒」という学歴を持っていても社会生活で有利になることは少ない。むしろ、さまざまなシーンで東大の看板は大きな負担となる。

官公庁、東証一部上場企業、外資系コンサルタント会社に就職できたところで、幸せになれるかどうかは別の話だ。東大を卒業して、その類いの職場で働く知人の多くが「仕事を辞めたい」と訴えている。