2010年代に訪れた空前の稲盛ブーム

稲盛フィロソフィは2010年代に中国で一大ブームとなった。高成長の中で利益のみを追求していた中国人は、2009年の金融危機に直面し自問自答し始めた。2000年代に流行した米国式の経営手法についても、研究者や経営者は「中国の現場にフィットしない」と感じるようになった。そこに現れたのが東洋の思想や宗教を取り入れ、経営だけでなく人生の哲学を示した稲盛氏だった。

経営破綻した日本航空(JAL)の会長を無報酬で引き受け、再生した稲盛氏の格は、中国人経営者にとって「生きる神様」にまで上がった。著書『生き方』は現時点で500万部を超える大ベストセラーとなっている。

同氏の経営思想を学ぶ勉強会「盛和塾」は2019年末時点で中国に37塾あり、7000人が在籍していた。稲盛氏の高齢化などを理由に盛和塾は2019年末に解散したのだが、中国の塾だけは当面、活動の継続が認められた。

稲盛フィロソフィの信奉者には大物企業家も名を連ねる。その代表はファーウェイの任正非CEOで、同氏は数年前まで、来日のたびにお忍びで稲盛氏を訪問していたという。

バイトダンスCEOに稲盛氏の著書を勧めた同郷の先輩

稲盛和夫氏の中国での人気ぶりは有名だが、筆者が興味深く感じたのは、バイトダンスの張CEOは26歳のときに『生き方』を読んだと語っている点だ。同CEOは1983年生まれなので、稲盛ブームが起きる前の2008年ごろということになる。江蘇省無錫市に中国最初の盛和塾が設立されたのが2007年で、金融危機前には『生き方』も売れていなかった。

張CEOは「同郷の先輩」に同書を勧められたのだが、その先輩とは、ネット出前サービスの中国最大手「美団点評」(Meituan Dianping)の王興CEO(41)だ。

中国メガベンチャーと言えば「BAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)」が有名だが、それを追う存在として2017年ごろ「TMD」という言葉が登場し、美団はその一角を担う。ちなみにTはバイトダンス(当時は「Toutiao」というニュース配信サービスで知られていた)で、Dはソフトバンクと組んで日本に進出した配車サービスのDiDi(滴滴出行)だ。

2010年に創業した美団は2018年香港で上場し、フォーブスが2019年に発表した富豪ランキングで、創業者の王CEOの資産額は519億7000万元(約8000億円)に達した。

清華大学でコンピューターを学び、米デラウェア大学の博士課程で学んだ典型的な中国人理系エリートの王CEOは、2014年の中国メディアのインタビューで「中国の経営者で稲盛和夫氏の境地に達している人はいない」と語っている。