「いい大学」を出て、「いい会社」に入れなければ、人生は失敗なのか。職業人生の設計に詳しいワンキャリア取締役の北野唯我氏は「強者よりも弱者の方が“いい戦略”を持っている。自分に合った戦略を選んでキャリアを積むことが大切だ」という——。
タンザニアのセレンゲティ国立公園にて。野生のシマウマの群れが逃げている。
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「強者の論理」とは、一体なにか

強者の論理

と呼ばれるものがあります。特にインターネットや、メディアではときたま話題になる話ですが、「強者の論理を振りかざすな」という意見が挙がることがあります。私はこういう話を聞くたびにこう思います。

強者の論理って、いったいなんなんだろう?

と。皆さんも、このなんとなく知っているようで、どこかボヤッとしている言葉の定義を言いなさい、と言われてもとっさに答えづらいのではないでしょうか。難しい問いです。

一般的には、強者の論理とは、「弱肉強食」的な世界観を指されることが多く、その場合は「強いものは弱いものを支配していい。するのが必然だ」ということを意味するでしょう。

あるいは、「生まれや育ちによる『差』を認めない」という観点で使われることもあるかと思います。

これは、たとえば、いい大学を出て、いい会社に入り、高い給与をもらっている人が、外から見て「なんとなく努力することを放棄したように見える人」に対して、「だからお前はダメなんだ」と非難するときなどに使われます。

この場合の強者の論理とは、機会の平等がある(と思われる)世界において、今の自分のポジションは努力不足の結果である。つまり「因果応報」的な意味合いで使われている、というふうに解釈できます。

「強者の論理」も「弱者の論理」もしばしば炎上する

そして、往々にしてネットで炎上するケースというのは、ビジネスの成功者が述べる成功話や、ひと世代前のスポーツ選手などが述べる持論に対して「強者の論理はもう飽きた。うんざりだ」という、声が起こるケースです。

あるいは、逆のケースもあります。それは「弱者の論理」と呼ばれるものです。

いわゆる社会的に恵まれていない方が自分の悲惨な体験やエピソードを軸に、極端な主張を述べて炎上するケースです。

さて、この強者の論理か、弱者の論理か、というのは一体なにを表しているのでしょうか? 私たちはここからなにを学べるのでしょうか?