ただ忘れちゃいけないのは、「対立とは融合すること」という逆説です。「賓主互換」という禅語があります。相対するもの同士が、時と場合によって、あるいは、見方や価値観に応じて入れ替わるということ。つまり部下は上司になりうるし、上司は部下になりうる。対立する主体と客体が一体となるということです。

上司や部下といった分け隔てなく、「不二一体」となって相乗効果を生み出すんです。好きも嫌いもなく、異質なものとのコミュニケーションをもって、深い創造的な世界に転じていかなきゃならない。それこそが上司と部下の間柄というわけです。上司は、部下に鍛えてもらうくらいの心構えが必要。「こいつはデキる」という部下とコンビを組んでみるといい。互いに成長できるはずです。

部下一人一人の持つ“我”の強さを見極める

では具体的に今、どう部下と接すればいいのか。最初の答えは「突き放すこと」。禅の法話の中に「自燈明」という言葉が出てきます。釈迦が亡くなるとき、弟子たちは「これから私たちは何を頼って生きていけばいいのですか?」と泣いて聞きました。すると釈迦は、「わしが死んだあとは、自分で考えて自分で決めろ! 大事なことはすべて教えた」と答えました。

上向きの右目で悟りを求め、下向きの左目で人心を摑む不動明王。上司の心がけそのものだ。
上向きの右目で悟りを求め、下向きの左目で人心を摑む不動明王。上司の心がけそのものだ。(PIXTA=写真)

その真意は、「自ら明かりを灯せ!! 誰かが灯してくれる明かりを頼りに暗闇の中を歩くのではなく、自らが明かりとなれ!!」、つまり、おのれの指針を持たなければいけないと突き放したのです。なぜなら、変化に対応できないことが生きていくうえでの最大のリスク。自分の人生は自分で決めるしかないからです。部下には、「会社にとって都合のいい、奴隷になる勉強をするんじゃなくて、自由人になれ!」と言ってあげなきゃいけません。

次にすべきことは、部下の一人一人がどのような“我”の強さを持っているかを見極め、その特長を引き出すこと。そして、もし部下が妙なこだわりやプライドを持っているなら、それを取り払ってやることです。

部下は上司にとって異質な存在であり、異質な“我”の強さを持っています。「おまえのプライドを挙げてみろ。“我”の塊を出してみろ」という接し方で問い詰めてみるといい。すると、高学歴なヤツに限って何も出せないもの。代わりに文句を言い始める。もしそうなったら、「おまえが言っているのは文句だろ。そしてプライドと思い込んでいたのは見栄にすぎない。その文句や見栄はどこから出てくるんだ」とさらに問い詰めます。