「傷を治すにはまず膿を出す必要があるように、大切な人の死別から立ち直るためには悲嘆を表に出す必要があります。『いつまでもメソメソしていると、○○さんが浮かばれないよ』『あなたがしっかりしなくてどうするの』『誰だって親を亡くすときを迎える』などという言葉を発すると、自分の気持ちを表現できなくなり、かえって病的な悲嘆に陥ってしまうことも。心の傷が癒えるまでには時間がかかるのです」

同じような傷を負っても、治りの早い人と治るのにとても時間がかかる人がいるのと同じことで、悲嘆の期間はその人にとって「必要な悲しみの期間」なのだという。

「何年、何十年経っても思い出して泣く人もいる。それだけ大好きだったという気持ちの強さは誰にも否定されることではありません」

森谷さんの優しい言葉は、大切な人を亡くした私の心の支えになっている。悲しいときは「それだけ愛した証拠」だと考え、好きなだけメソメソしていい。けれど同時に後悔や落ち込みが強すぎて日常生活が送れない状態になったら、第三者のケアが必要になることも胸にとどめてほしい。

林医師は高校1年生のときに、誰よりも慕っていた父親を胃がんで亡くした。父親の死後、何百回も空想の対話を重ねたという。

「亡くなって最初の1年は100回以上お墓参りに行きました。当時高校生で、父親と同じ医師になろうと考えていました。だから悲しくなったとき、何かに迷うとき、お墓の前で父親であれば何と言うか考えていました」

残された者の役割は語り継ぐこと

亡くなった親への思慕の延長に、親が死んだ年までしか生きられないのではないかという恐れを感じる人がいる。

林医師の父親と祖父はともに50歳で亡くなり、次男だった。同様に次男である自分と照らし合わせて「50歳までしか生きられない」という思いにとらわれたという。後悔のないように、「そのときにしたいことをする」という刹那的な生き方をしていた。

「でも、私は50歳になっても死ななかった。それまでの私は自分に子供がいても(自分は)“父親の子”という思いだったのですが、50歳になったのを境に自分を“(自分の)子供たちの親”だと思えるようになったのです。本当の意味で、父親の死を乗り越えたときだったのかもしれない」(林医師)