※本稿は、早川真『ドキュメント武漢 封鎖都市で何が起きていたか』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。
発熱外来には100メートルの行列が
武漢市が封鎖された1月23日に話を戻そう。このころ武漢市内では既に医療崩壊が始まりつつあった。湖北省の公式発表を見ると、23日までの武漢市の発症者は計約500人で、前日より70人増えた。死者は武漢を含む湖北省内で計24人だ。数字だけでは混乱ぶりがよく分からないが、市内の病院には発熱した患者などが殺到し、既に対応し切れない状態になっていた。
中国メディアによると、中心部にある「武漢市第七医院」には午前10時、つまり武漢が封鎖された時刻には、発熱外来に100メートルほどの行列ができていた。寒いのでコートを着て路上に並ぶ人たち。かたわらを担架で重症患者が運ばれていく。救急車以外にも、自家用車やタクシーで次々に患者が集まってきた。
中国では平時でも、救急車が来てくれないことは珍しくない。首都の北京ですらそうだ。私もけがをした友人のために救急車を呼んだものの、なかなか来ないのでタクシーで病院に運んだ経験がある。病人やけが人が出たら周囲の人と助け合って自分たちで運ぶのは普通のことだ。
都市が封鎖されたことも異常事態だが、インターネット上には「医者も看護師も物資もみんな足りない」「感染していない人も並んで感染するのではないか。危ない」といった武漢からの書き込みが既に相次いでいた。市内の各病院は軒並み行列が発生。待合室は人であふれ、床に座りこむ人も多かった。診察を待つ患者たちをかき分けるようにして防護服姿の医療従事者が行き交っていた。
「初期の感染者は、ほとんど院内感染ではないか」
「自分も感染しているのではないか」。都市封鎖によって、それまで事態を楽観していた市民の不安感も一気に高まり、念のため病院に行こうという人も増えていた。しかし病院内は密集状態で、いつ感染してもおかしくない状態だ。感染を防ごうとマスクを何枚も重ね、コートの襟を立ててうつむく人たち。「もし感染していなくても、逆に病院で感染してしまう」。ベッドが足りないので、廊下や待合室も点滴を受ける人たちであふれた。深夜になっても行列は解消せず、むしろ増えるばかりだった。
武漢中心部に住む市民は後に、「初期の感染者は、ほとんど院内感染だったんじゃないか」と証言している。「武漢の冬は寒い。北京などの北国は住宅や公共施設の暖房がしっかりしているが、武漢にはそんな暖房はない。部屋という部屋は扉や窓を閉め、なるべく密閉して外気が入らないようにする。病院もそうだった。待合室、診察室、検査室、病室。みんな密閉状態だったし、そこに患者や付き添いの人、医師や看護師などが入り乱れていた。感染を防ぐために動線を分けることもなかった」と当時の様子を振り返った。