日本の食文化に多大な影響を及ぼしたグルメ漫画『美味しんぼ』。ネットニュース編集者の中川淳一郎さんは、「人生でもっとも繰り返して読んだ漫画だ。ホレ込んでいる。しかし、だからこそ“反権威”だったはずの『美味しんぼ』が“権威”となっている状況には違和感がある」という──。
寿司職人
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私が人生でもっとも繰り返して読んだ漫画だが……

私が自炊を中心にした食生活を送っていることは、プレジデントオンラインの連載をはじめ、さまざまなところで発言してきた。そんななか「自炊に関する本を出しませんか」と声がかかり、このほど自分なりに培ってきた自炊論をまとめた新著『意識の低い自炊のすすめ 巣ごもり時代の命と家計を守るために』(星海社新書)を上梓した。

中川淳一郎『意識の低い自炊のすすめ 巣ごもり時代の命と家計を守るために』(講談社)
中川淳一郎『意識の低い自炊のすすめ 巣ごもり時代の命と家計を守るために』(講談社)

以下の文章は、同書のために準備していた原稿に加筆修正を加えたものになる。個人的には筆がのった、思い入れのある原稿なのだが、「意識の低い自炊」という趣旨から少しはずれてしまうかもしれない……と考え直し、泣く泣く未収録にしたパートだ。とはいえ、このままお蔵入りにしてしまうのも残念なので、ここで紹介させていただこうと思う。しばし、お付き合い願いたい。

私が人生でもっとも繰り返して読んだ漫画は『美味しんぼ』である。食にまつわる知識は同作品から学んだ部分がかなりある。だが、物語の随所に作者・雁屋哲氏の思い込みというか決めつけが挟まれており、読んでいて「???」となることも少なくない。

『美味しんぼ』は雁屋氏の主義主張がふんだんに盛り込まれた作風が特徴のひとつで、これまでよくも悪くも、さまざまな話題を振りまいてきた。たとえば、東日本大震災後に東京電力福島第一原発の近くを訪れた主人公・山岡士郎が突然鼻血を出す、というシーンについては相当な批判を浴びた。また、ここまでのレベルではないものの、「それって一般化できますか?」と素直にうなずけない指摘や主張は多い。

日本の食文化に多大な影響を及ぼす“権威”になった

そこで本稿では、私が『美味しんぼ』を読んで気になった描写をいくつか紹介しようと思う。私は全巻をトイレに置いており、用を足すときはたとえ数ページであろうとも目を通してしまうくらい、この漫画にホレ込んでいる。そうはいっても、疑問を呈したい部分があるのだ。

『美味しんぼ』は日本の食文化に多大な影響を及ぼした、ある種の“権威”ともいえる存在だが、納得できないものは納得できない。つまり私が伝えたいのは、権威に対しても臆することなく異論を述べるべき、ということだ。これは食に関することもしかりで、結局、味覚などについては、誰かが作った基準を全面的に信じる必要はないのである。

単行本の1巻で山岡は、自身が勤める新聞社の創立100周年記念事業である「究極のメニュー」作りを命じられる。だが、山岡はこの企画に反発を覚える。父・海原雄山が美食を追求するがあまり母親を過酷に労働させ、これが彼女の早逝につながったと考えていたからだ。そうした背景もあり、いわゆる「グルメ」の人々がフォアグラを絶賛しているのを見て、山岡は「日本の食通とたてまつられてる人間は、こっけいだねえ!」と言い放ち、その後アンキモを持ってきて、その自然が生み出した美味により彼らを黙らせたりする。

このように、もともと『美味しんぼ』は“反権威”の姿勢が色濃い漫画だった。ところが、いつしか同作および作者が食における“権威”と化していったのは実に皮肉である。