正確に時間を守り、集団で効率的に仕事をする――。高度経済成長を支えた日本人のキャラクターは民族性に起因するものと思っていたが、それは間違いらしい。
「東京オリンピックの前、日本人は時間を守らなかった。亀倉さんは、そう断言していました」
グラフィックデザイナーの亀倉雄策、日本IBMの技術者・竹下亨、帝国ホテル料理長の村上信夫、映画監督の市川昆……。本書に登場する、各界の第一人者たちは東京オリンピックの舞台裏を支えた人々。オリンピックは選手のみならず、裏方として関わった様々な職業人たちが初めて世界を意識し、大きく成長する場でもあったのだ。
「そもそもグラフィックデザイナーは職人かたぎで、時間を守ることや共同作業は好まなかった。それが変わったのは東京オリンピックからなんです。世界が注目する檜舞台を前に、団結し効率的に仕事を進める必要に迫られた。同じことはコンピュータや料理の世界でも起こります。各分野で日本独自の集団によるシステムを築く契機となったのが、オリンピックだったのです」
東京オリンピックを「日本が世界に出合った瞬間」と評するのは、オビに文章を寄せた、ユニクロの柳井正会長兼社長だ。柳井氏は、日本人は東京オリンピックにもう一度学ぶべき、と思いを込めたという。
「柳井さんは、亀倉さんがデザインした東京オリンピックのポスターを見て、日本の未来が開ける感覚を覚えたそうです。それは、当時あらゆる分野で際立とうとする人たちの息吹を感じ取った、ということなのでしょう」
翻って閉塞感が漂う今の日本。あのころ満ちていた熱気は、どこにいったのだろうか。
「大切なのは変えていくこと。これまでのシステムが通用しなくなる時代に必要なのは、がむしゃらに挑戦し続けた、先輩たちの精神かもしれません」
戦後、坂の上の雲を懸命に追いかけた若者たちの物語。あなたは何を感じるだろうか。