「空白の五マイル」とは、チベットの秘境・ツアンポー峡谷の未踏査部を指す。角幡唯介さんは、2002年と09年にこの地を訪れ、残された空白地の大部分を明らかにした。その記録である本書は、「21世紀において『冒険』は成り立ち得るのか」という命題に対して、彼が文字通り身をもって答えようとした一冊でもある。
「かつての冒険家には明確な目標がありました。それが現代になってあらゆる場所が探検し尽くされると、目的達成型の冒険は社会的な意味を失った。ただ、だからこそ冒険という『行為』を、個人のものとして純粋に追求できるようになったともいえるのではないでしょうか」
19世紀末からの約130年の間、数々の探検家がツアンポー峡谷踏破に挑戦してきた。そこには巨大な幻の滝がある、というまことしやかな伝説もまた、彼らを惹きつけた。しかし峡谷の自然は厳しく、一歩間違えれば死が間近に垣間見える場所だ。激流と岩壁、ダニだらけの鬱蒼とした藪が彼らの野心をことごとく打ち砕いた。そうしたツアンポー峡谷の探検史を掘り起こし、背景に塗りこみながら、角幡さんは自らの「行為としての冒険」の意味を考察していく。
「『なぜ冒険するのか』という問いは、僕にとって『何のために生きているのか』という問いと同じなのかもしれません」
中国当局からの許可なく敢行した2度目の単独行で、彼は24日間にわたって峡谷をさまよった。食料は尽き、エネルギーの消えた体は思うように動かない。凍えながら、それでも前へ進むしか生きる道はない。そんな絶望的な状況からの生還の末、彼はついにこう書くに至る。
〈冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか〉
そうして空白の五マイルをめぐる彼の個人的な旅は、人はなぜ生きるのかという普遍的なテーマ性を持つ作品となった。
「あの不快で憂鬱な環境に身を置くことが、なぜ生きることの充実感に繋がるのか。それを説明し切ることは難しい」
しかし、だからこそ次の冒険がしたくなるのだと彼は続ける。
「確かに冒険におけるクリアな目標はなくなったかもしれません。それでも冒険を行う人は現れ続ける。その体験の意味を突き詰めて考え、書くことは、冒険という『行為』そのものの価値を浮かび上がらせることに繋がるはずです」