「雪印食品」の解散で年収は3分の1に激減
貧困の影は、中高年にも忍び寄る。
「イス取りゲームでイスがないのをはじめて実感しました」
取材先の駅前の喫茶店で、吉村宗夫さん(54歳)は振り返る。
吉村さんは故郷・福島県の高校を卒業後、埼玉県内にあった雪印食品の工場に就職。主な仕事はハムやソーセージの加工。やがて社内結婚し、2人の子供にも恵まれた。しかしそんな吉村さんを悲劇が襲う。02年1月に発覚した牛肉偽装事件の影響から雪印食品が解散。同年3月に職を失ったのだ。
路頭に迷った吉村さんは慌てて就職先を探したが、当時すでに48歳。7社を受け4社は面接までたどりついたが、結局不合格。04年12月に、栃木県の宇都宮に本社を置く人材派遣会社「CDPジャパン」に登録した。
派遣先は、水産物の加工・製造を行う埼玉県内の生鮮食品加工センター。仕事は首都圏約150のスーパーなどに、包装された鮮魚関係の製品を店舗ごとに仕分ける「ピッキング」と呼ばれる作業だった。時給は1100円で、勤務は9~17時、交通費は自動車通勤で1キロ10円、遅刻、早退、欠勤がなければ月に5000円の皆勤手当がつくが、それ以外は何もなかった。
「何より寒さがこたえました」
作業場は気温摂氏1~4度に設定された「冷蔵庫」のような場所。支給される防寒服だけでは寒くてとてもやっていけない。軍手と耳当てを自腹で買い、タイツと使い捨てカイロも手放せなかった。
「それでも軍手を通して寒さが身に染みる。夜、家に帰って風呂に浸かると、手が真っ白にふやけていました」
同年代の同僚には、寒さからくる腰痛が悪化して、手術をした人もいたという。