メッセージの先に光が見えなかった安倍さんと、多少は光が見えた吉村さん

安倍さんの新型コロナ問題に関する演説はこのプロンプターを活用しているので、確かに語り口はきれいで、情緒的なフレーズが多いが、肝心な部分が抜けてしまうし、聞いている者からすると迫力が足りないように感じてしまう。

今回の緊急事態宣言の延長の説明の演説も、結局、どうなったら宣言が解除されるのか、国民が最も知りたかったところが不明だった。メディアの論調などを見ると、すこぶる評判が悪い。

これは情報の選別や、聞いている者のハートに突き刺さる力が弱いのだ。

役人の説明は、間違いのない正確さに重きが置かれる。だから情報も多いし、聞いている者の「脳みそ」に働きかけるものになってしまう。だから、小難しくつまらない説明になってしまうことが多いが、それは役人の役割なので仕方がない。

他方、リーダーが発する説明・メッセージは、聞いている者の「ハート」にズバッと働きかけるものでなければならない。それは、リーダーは間違いなく正確に説明することが役割なのではなく、組織全体を、さらにはその周辺を動かしていくことが役割だからだ。

この点、吉村さんの説明や会見は、プロンプターを使うことなく、演説原稿なども用意されていない。だから、必要で重要なポイントを自分の言葉でズバズバと語ることとなる。無駄で余分な、回りくどい、情緒的な、ポエムのような話はそぎ落とされる。自分の言葉で語るので迫力がある。記者からどんな質問が来ようが、細かな事実関係以外は、すべて自分で答える。だから聞いている者の「ハート」に突き刺さるのだ。

平時ののんびりした場では、格式や回りくどい情緒的な話は許されるが、有事の場合には厳禁だ。小泉進次郎環境大臣の、中身のない話をもっともらしく話すあの語り口は、有事のときには絶対に厳禁だ。

安倍さんも、有事である新型コロナ問題に関する国民向けの演説については、次回からプロンプターを利用しない方がいいと思う。そうすれば、必要かつ重要なポイントのみを頭に叩き込むことに注力することになるし、自分の言葉で語るので迫力も出るだろう。

(略)

安倍さんの演説には光がまったく見えなかった。一方、吉村さんのメッセージには光が多少見えたというのが国民の感覚ではないだろうか。