「失敗を許容する文化」が足りない

企業内でのイノベーションも、成功率が極めて低いのは同様だ。企業でビジネスプラン・コンテストをすると、成功率の低さが忘れ去られ、何とか成功例を出そうという意識が働いてしまう。

ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の著書『一勝九敗』(新潮社)にもあるように、起業は失敗することが前提だ。電球など、数々の画期的なものを発明した、発明家で起業家のトーマス・エジソンは、多数の失敗をしたことでも知られている。失敗するとエジソンは、「これでうまくいかないことが一つはわかった」と言ったそうだ。

新しいことを試すのだから、うまくいくかどうか、やってみないとわからない。ダメでもともとなのだ。失敗から学び、次回は少なくとも同じ失敗はしないようにすればいい。

イスラエルのスタートアップ関係者たちも、起業環境について、イスラエルにあって日本にないものとして「失敗を許容する文化」を指摘していた。日本では、企業内でも社会全体でも、「起業するならば必ず成功しなくてはならない」というプレッシャーが強い。こうした文化、雰囲気を一掃し、失敗しても再起が可能な環境作りが不可欠だろう。

「ベンチャー推進」を掲げつつ、起業を阻害する日本

日本は、ベンチャー推進のための施策をいくつも打ち出してはいるが、政府が起業を阻害しているように見えるところもある。例えば、既存の業界ルールをディスラプトするような新しいビジネスが生まれると、既存ビジネスを守るために規制し、やめさせようとする。

そもそも、既存の枠組みにとらわれない斬新なアイデアこそが、スタートアップの良さの一つだ。それなのに、新しいビジネスモデルやサービスが生まれたときに、早い段階で規制してがんじがらめにしてしまう。そして結果的にその芽を潰してしまうのだ。

イノベーションを求めるのであれば、政府が「正解」を描くのは無理がある。既存企業や政府が描けない、クリエイティブな発想によるアイデアこそが、スタートアップが生み出す一番の果実なはずだ。正解像を作り上げてスタートアップをガイドしようとした瞬間に、クリエイティビティは失われてしまう。