「歴史的な駆動力」で30年先を考える

同じ会社の中でも、時間感覚は違う。製造現場や経理の人々は、分、時間、日を単位にして考え、動いている。営業の人々は週、月を単位に考え、研究開発や企画部門は、年を単位に考えている。単に違うだけではない。その時間感覚で考えて判断しないと、よい仕事はできない。製造部門の人々は、迅速な時間感覚で物事をとらえることができるからよい仕事ができる。自動車部品のように納期の10分の遅れが深刻な問題を生み出す業界すらある。だからといって、研究開発部門の人々に製造部門と同じ時間感覚で動けというのは無理であるし、それはよい結果をもたらさないだろう。

組織や人についての研究者は、この時間感覚が組織現象を理解するうえで重要なカギになることに気づいていた。文化人類学者が以前から気づいていたように、時間感覚は、文化を理解する重要な手掛かりである。大阪と東京の文化の違いは、両者の時間感覚の違いを見れば一目瞭然だろう。近くても、京都と大阪で文化が著しく違うのは、両者の時間感覚に注目すれば、すぐに理解できるはずだ。

時間感覚は、組織内のさまざまな問題の原因を理解するうえでも、重要な手掛かりになる。まず、時間感覚の違いは、部門間対立の原因にもなる。短い時間感覚で仕事をしている人々から長い時間感覚の人々を見ると、仕事をしていないように見えてしまう。逆に長い時間感覚の人々から見ると、短い時間感覚で動く人は苛立ちの源泉になってしまう。

このような対立が起こるから部門間のコミュニケーションは難しいのである。部門間の壁と呼ばれる現象のいくつかは時間感覚の違いに由来するものである。このような違いがある場合、一方の時間感覚を他方に押しつけるのはよくない。先に書いたように、研究開発部門に製造部門と同じような時間感覚で仕事をせよというと、ろくな結果にならないだろう。

同じような理屈でいえば、企業経営者に投資家の時間感覚で仕事をせよと強制するのは間違いで、それを法律によって義務づけるのは論外である。経営者の仕事が難しいのは、さまざまな時間感覚で仕事をしなければならないことである。緊急事態が起こると、秒単位分単位での対応が求められるし、そのときも、長期の影響を忘れることはできない。長期のことを考えるから、俊敏な対応が必要になることすらある。

時間感覚の違いが考え方の違いを要求することもある。3週間から3カ月、つまり四半期までの短期で物事を考えるときのカギになるのは「因果連鎖」である。こんなことが起これば何が起こるか、それは何をもたらすかという発想である。四半期から3年までの中期を考えるカギになるのは「適合」である。環境に適した戦略は何か、それに適した組織は何かという発想である。3年から30年までの長期を考えるカギになるのは「歴史的な駆動力」は何かという発想である。

この3つの期間にわたる仕事を同時にするというのが経営者の仕事の難しさである。どれかの時間感覚に専念すればよいというものではない。