「第一報」からの怒涛の40日間

今年の1月31日、中国・武漢での感染拡大のニュースから、中華街に近づくことに恐怖を感じたミラネーゼたちの不安を払拭しようと、ミラノ市商務部とパオロサルピの代表者は、テレビカメラの前で仲良くラーメン(Ramen)をすするパフォーマンスを行った。今、ミラノは日本式のラーメンブームなのだ。だがその同じ日に、ローマで2人の中国人観光客が新型コロナウイルスに感染していることが発覚した。

イタリア語で「検疫」を意味するクワランテナ(quarantena)は、本来は数字の「40」をさす言葉だ。14世紀のヴェネツィアで、当時猛威を振るった黒死病から国を守るため、東洋からの船には40日間の停泊期間を設けたことがその由来である(英語のquarantineもこのイタリア語が語源)。

だが上記の「第一報」からの40日間は、急激な感染拡大をただなすすべもなく見守る日々となった。ミラノ近郊に始まった都市や自治体の封鎖は、イタリア全土での移動制限に拡大。3月10日には、確認された感染者が1万人を超え、同18日には死者が3000人に迫った。深刻な事態がすさまじい速度で進み、立ち止まって考える余裕はイタリアの人々には与えられなかった。

大量の物資とともに来た中国からの医師団

3月12日、中国から9人の医療専門家チームが、30トンもの医療物資を携えてイタリアに到着した。新型コロナウイルスの感染拡大を止められず、都市の封鎖だけでなく外出さえ制限されるという戒厳令状態にうんざりしていたイタリア人たちは、これを歓迎した。

イタリアでは疑わしき人々を片っ端から検査し、本来ならば自宅で静養していれば治るような軽症者も隔離したことで病院がパンク。多くの医療関係者がYouTubeを通じて「家にいてください。昼寝でもしていてください。われわれはできないけど、皆さんはそれができる。とにかく病院には来ないで!」と叫ぶような事態になってしまっていた。

中国からの医療提供の申し出は、国家の主権と尊厳という観点からはかなり繊細な話だ。だが、他のEU諸国に手助けを求めて「自国を守ることを優先させたい」と断られていたイタリアには、中国の申し出を断れる力は残されていなかった。「冷静になれ。彼らはこの病気においては加害者であって、救世主ではない」との声は、あっという間に封殺された。3月19日にはイタリア保険省でなく上記の中国の専門家チームの1人(中国赤十字の副会長)が、イタリア国民に「全ての商業活動を止めて家にいて下さい。マスクなしで外を歩く人が多すぎる」と、テレビを通じて呼びかけた。

イタリアが「一帯一路」に参加した昨年、フランスのマクロン大統領は「中国は欧州の分断につけこんでいる」と警鐘を鳴らした。あれから1年、目に見えぬ小さなウイルスがその分断を完成させるとは、SF映画もびっくりだ。