1万時間練習しないと”エキスパート”になれない

井上の考えは“1万時間の法則”に触発されたものだろう。カナダ人コラムニスト、マルコム・グラッドウェルが『アウトライアーズ』(邦題『天才! 成功する人々の法則』)で唱えた法則である。

ビートルズが世に広く受け入れられる前、1960年代初頭のハンブルクでの修業時代、ビル・ゲイツがソフトウエアを開発し、マイクロソフトを創業するまでのプログラミングの訓練が約1万時間であったという。そこから人間のあらゆる活動分野にいて、1万時間近い練習を積まなければ、“エキスパート”になれない、という結論を引き出した。

この1万時間の法則は、ベルリン芸術大学のバイオリン科の学生を対象とした、アンダース・エリクソンたちの論文が元になっており、そこではこう結論づけている。

〈第一に、傑出したバイオリニストになるには数千時間の練習が必要であるということ。近道をした者、比較的わずかな練習でエキスパートレベルに達した「天才」は一人もいなかった。そして第二に、才能ある音楽家の間でさえも(調査対象は全員、ドイツ最高の音楽大学に合格している)、平均してみると練習時間が多い者のほうが少ない者より大きな成功を収めていたことだ〉(アンダース・エリクソン、ロバート・プール『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋)

ただし、エリクソンは自らの研究結果から派生した“1万時間の法則”については、単純化しすぎていると批判している。一定の成果が得られるまでは分野によって差があり一律「1万時間」ではなく、例えばバイオリン科の研究などでは「7000時間」とすべきだ。きりのいい1万時間という数字は人の心を惹きつけやすいが、あまりに雑である、と。

さらにエリクソンは、“1万時間の法則”では、〈一般的な練習〉と強度の高い〈限界的練習〉が区別されていないとも指摘している。

限界的練習とは、学習者がコンフォートゾーン(居心地の良い領域)から飛び出して、全神経を集中し、意識的に活動に取り組むことと定義している。教師やコーチの指示に従うだけではなく、学習者自身が練習の具体的目標に集中する必要がある。そして、フィードバック――つまり練習結果を参考にして、問題点を修正、解決することが不可欠だ。トレーニングの初期にはコーチがフィードバックを行う。練習時間と経験が積み重なると、学習者自身が自分が上手く出来ているかどうかという“心的イメージ”を意識してフィードバックを行えるようになるという。

漠然とした練習は効果が極めて薄いと言い換えてもいい。また、エリクソンは限界的練習に適した分野とそうでない、分野があるとも書いている。

ゴルフの上達と親の相関関係

ゴルフのような個人競技は、適切なコーチによる限界的練習の適用範囲内に入るだろう。井上は、親はもう1人のコーチなのだと言う。

「(練習やラウンドの)行き帰りの車の中で、親と今日はどんなプレーだったのか、どんなミスをしたのかという話をするじゃないですか。それを適切に振り返ることで同じようなミスが起こらない」

親との会話の中で、フィードバックを行っていることになる。親にゴルフの知識があり、正確なフィードバックが行われていれば限界的練習に近づく。

「日本では、車がないとゴルフはできない。親と一緒に行動するしかないんです。子どもは親のスイングに似る。だからゴルフの下手な親だと子どももゴルフが下手だという傾向がある」

井上は、ほかのスポーツ、競技とゴルフが一線を画す特徴があるという。

「ゴルフが、同じ個人競技で道具を使う、テニスや卓球などと違うのは、対戦型ではないことです。テニスの錦織圭選手たちがIMGアカデミーに行くのは理由がある。強い相手と対戦することでしか掴めない経験があるからです。ゴルフはマッチプレーを除けば、そうではない」