生産性の低さを認識しないと介護制度にも影響が及ぶ
生産性の違いは、高齢化社会において避けて通ることができない介護の問題にも大きく影響してきます。日本の介護制度がうまく機能していないのは、生産性に対する基本的な認識が誤っているからです。
イタリアは欧州の中では家族主義的な傾向が強く、前近代的な風習を残してきました。北欧では完璧な福祉制度が確立しており、高齢者のケアもすべて個人単位となっていますが、イタリアの場合にはカトリック圏ということもあり、家族が面倒を見る比率が高いといわれます。
家族が高齢者の面倒を見るという点では日本と近い部分がありますが、イタリアの場合には、日本とは比較にならない数の無職の人たちがいます。
人口の6割が働いていない状況であれば、家族や親類の誰かが介護できる可能性が高いですから、老人のケアは日本ほど大きな問題にはなりにくいわけです。
欧州の場合、北欧やドイツなどプロテスタント圏を中心に発達した「自立した個人として豊かさを実現する」という考え方と、南欧カトリック圏を中心とした「家族主義的に相互ケアする」という考え方の2種類があると解釈できます。
日本は就業率が高すぎて手が空いている人がいない
北欧やドイツでは、就業率も生産性も高く、個人が責任を持って自己の経済力を確立するシステムになっています。特に北欧の場合は、国民負担が大きい分、福祉はすべて政府に任せることができるという話は、多くの人が知っていることでしょう(精神的な満足度はともかくとして)。
一方、イタリアでは、働ける人だけが効率よく働き、残りはあまり働かないシステムですから、家族や親類の中で手が空いている人が、介護などの諸問題に対処していると考えられます。
ところが日本の場合、北欧やドイツ並みに就業率が高く、全員が労働するという状況ですが、生産性が低いので、余剰の富で福祉をカバーすることができません。一方、就業率が高すぎるため、手が空いている人がおらず、家族が介護することにも限界があります。現実には、政府による福祉制度に頼れないので、家族が介護せざるを得ず、これが貧困を招いているケースが多いと考えられます。
企業が多くの余剰人員を抱え、生産性が低いことは、ビジネス上の問題として捉えられがちですが、それだけではありません。
経済圏全体では、必要な分野に人が配置できないという事態を引き起こし、社会保障の分野にまで大きな影響を与えているのです。