稲垣潤一

1953年、宮城県生まれ。中学生の頃からバンド活動を始め、82年にデビュー。「ドラマティック・レイン」「夏のクラクション」のヒットで、日本を代表する男性シンガーの地位を確立。「クリスマスキャロルの頃には」「メリークリスマスが言えない」は冬の定番曲となった。昨年は、それぞれ11人の有名女性ボーカリストとデュエットしたカバーアルバムが話題に。最近ツイッターにはまり、つぶやきでもファンとの交流を楽しんでいる。6月にはデュエットも含んだコンサートを東名阪で開催予定。


 

「デビュー当時と声が変わりませんね」と、よくいわれます。デビューから今年で29年目ですから、変わってはいるはずなのですが、聞き分けるのは難しいようです。昔からの声質をキープしたいと思っている僕にとっては、うれしい一言ですね。

歌うには腹筋や声帯などの筋力を使うため、アスリートが年齢とともにトレーニングのメニューを変えていくように、ボーカリストも歌い方を変えていく必要があります。僕はずっと自己流の歌い方だったため、発声の効率が悪く、そのままではのどを傷める恐れがあった。そこで40代になってから発声のメカニズムを学び、ボイストレーニングをして、効率のよい歌い方を身につけました。

また、のどのためには健康であることが重要なので、日常生活ではバランスのよい食事と、体重管理に気をつけています。食事は、年齢とともに和食の割合が高くなりましたね。

横浜方面で仕事があったときに和食といえば、新横浜プリンスホテルの40階にある「羽衣」。どの料理もおいしく、東京都心のビル群や横浜のベイエリアの眺めも最高です。でも、時々肉も食べたくなる(笑)。そんなときに行くのが「韓の台所道玄坂店」です。といっても、子どものころは肉が食べられなかったんです。小学校の給食で無理やり食べさせられたのがトラウマで。20歳を過ぎてから、克服しましたけどね。

小学校は、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地のすぐ近く。そのご縁で、開幕戦で国歌を歌ったこともあります。宮城県では、地元にゆかりのある中村雅俊さん、さとう宗幸さんら8人で、毎年チャリティコンサートも行っています。「故郷に何か恩返しをしたい」という気持ちで始め、今年で5回目。収益金は県内の小中学校の音楽部やブラスバンド部で、壊れた楽器のリペア代に使ってもらっています。

個人活動では昨年暮れ、デュエットカバーアルバム「男と女」「男と女2」で、レコード大賞企画賞をいただきました。単なるカバーではなく、デュエットにリメークしたことが評価されたようです。デュエットは、一人で歌うのとは違った醍醐味がありますから、聞くだけでなく、ぜひカラオケで歌ってみてください。

今は誰もが生きにくいご時世ですが、音楽は人生を豊かにしてくれます。僕も、みなさんが人生に迷ったときにちょっと背中を押せるようなメッセージ性のある曲を、もっと歌っていきたいですね。