「派遣型」へのシフトで多くの嬢が在籍できるように

まず、量的な激増について。これには3つの要因が考えられる。第1は営業形態の変化だ。以前は「店舗型」、つまり店舗を設けてそこにニューハーフ風俗嬢が待機し、店内の個室で性的サービスを行うのが主流だった。ラブホテルなどに出張することはあったが、あくまで店から出張する形だった。

それが2000年代に入ると「派遣型」が主流になっていく。ニューハーフ風俗嬢は盛り場の喫茶店や自宅で待機していて、事務所からの連絡を受けて、顧客の自宅やラブホテルに派遣される。この形態だと、風俗嬢が待機、仕事をするスペース(店舗)が不要になり、連絡拠点の事務所さえあればいいことになる(しかも、盛り場にかまえる必要もなくなる)。そして、ネット上にサイトを設けて広報すればいいことになった。

場所の制約がなくなったことで、事業者はより多くの風俗嬢と契約を結び「在籍」させることが可能になった。中には稼働率が悪い人がいたとしても、ネット上のスペースは無限に近いので障りにはならない。逆に「売れっ子」なら同系列のサイトに重複して載せることも可能だ(その場合、実際には巡回営業になる)。

第2は、インターネット、さらにSNSの発達である。これによって、個人、それに近い小グループでの営業が容易になった。以前は、店に赴き、店長と面接して、採用されなければ営業ができなかったが、今ではその気にさえなれば、翌日にでも個人営業を始めることができる。ニューハーフ風俗業界への参入の障壁が大幅に下がり、参入する人が増えた。

古来から女装男娼は“受け”だった

これらは、供給側の変化だが、それに見合う需要の拡大がなければ、業界は維持できない。第3として、インターネット、SNSの発達により、顧客のアクセスが飛躍的に容易になり、それが需要の拡大につながった。つまり、ニューハーフ風俗の「市場」規模自体がかなり大きくなったということだ。

次に、質的な変化について。女装した男性が客の男性に性的サービスを行うという営業形態は、世界的にかなり古くからあり(おそらく紀元前から)、日本でも江戸時代の陰間茶屋、昭和期の女装男娼など長い歴史を持っている。そこで一貫しているのは、男性客が能動側(ペニスを挿入する側)、男娼が受動側(挿入される側)という形だ。

1984年に始まる「ニューハーフ風俗」という営業形態も、その伝統をしっかり受け継いでいた。ニューハーフ風俗嬢は顔や胸を女性化し(でもペニスは残し)、その「女らしい」容姿で男性客を魅了し、アナル(肛門)に客のペニスを受け入れて、快楽を与え射精に至らせるのを主な仕事にしていた。

所蔵=国際日本文化研究センター
鈴木春信「艶色真似ゑ門」から(18世紀)。陰間茶屋の場面。一見、男女の性行為のように見えるが、よく見るとペニスが2本あり、上に乗って若旦那のペニスを受けているのは、女装の少年であることがわかる。