もちろん「発達障害=天才」という論理は成り立たない。だが、彼らの一見型破りとも思える人生を紐解くことで学べることも多いはずだ。
▼発達障害児が混ざっても問題がない北欧の学校
日本の学校での支援教育はまだまだ
北欧やアメリカなど海外の学校視察を通じて痛感するのは、日本の学校での支援教育はまだまだだということです。
発達障害に関してはすでに研究も進み、どのような支援や教育方法がふさわしいかエビデンスもそろってきていますが教育現場に反映されない場合も多く、専門知識を持たない教師による「長年の経験」頼みな現状も多いのが残念なところです。例えばADHDの子はソワソワと動き回り、注意も散漫で衝動性が強い特性があるので、周囲の壁には掲示物をベタベタ貼らない、同級生の動きが見えにくい前列の席に配置するなどの工夫をすることができます。
あるいはASDの場合、人との接触が苦手で、実は私もその傾向があるのですが、騒音が渦巻く40人学級(1年生は35人上限)自体、耐えがたい空間になるのです。黒板の文字や教科書を眺めながら板書をするのが苦手でも、タブレットを使ってなら可能なお子さんもいます。そういった基本的な配慮がいまだ日本では一般的ではありません。
この夏、北欧視察に行った際、現地では通常学級の定員が20人で、それ以上増えたら2つの学級に分けます。そのうえ子どものニーズに応じて必ず補助教員がつくことに感動しました。反対に海外の専門家が日本の学校を見学して驚くのは「なぜ視覚支援がないか」ということです。発達障害の子は将来の見通しがつかないことに強い不安を抱きやすく、口頭での指示が短期記憶に残りにくいなどの問題も抱えています。
しかし、その場合でも、文字や絵や写真など視覚情報を使えばきちんと理解し記憶できる。ここに載せた写真を見ると休憩時間を含めた予定がわかりやすく示されています。これは支援学級の取り組みではなく、通常学級の教室です。発達障害児に対する特別支援以前に定型発達の子に対しても十分過ごしやすい工夫が凝らされています。
大人だっていまの時代、スマホアプリやグーグルサービスで予定を視覚的に管理し、LINEなどで仕事の案件を連絡し合いますよね。誰も重要事項を口頭だけで伝えようとなんてしていない。学校現場だけが、いまだに口頭伝達を重視しています。
特別支援を行うのに、必ずしも高価な設備や教材は必要ではないんです。基本的な知見を取り入れ、あとは各校に発達障害の専門家を巡回させる。これだけで学校内のさまざまな問題は解決するのではないでしょうか。